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投稿者 : admin 投稿日時: 2021/07/09 (104 ヒット)

ユーシー産業株式会社

















〒542-0081
大阪市中央区南船場1-18-17商工中金船場ビル10F
TEL 06-6261-8870
FAX 06-6261-8875
社長 永𠮷昭二




−ユーシー産業さんの歴史を教えてください−
創業者は父永𠮷昭夫で昭和5年(1930年)生まれ 出身地は鹿児島県垂水市です。幼少期、両親と共に大阪に出てきましたが、第2次大戦後期に家族は全員鹿児島に疎開したそうです。父だけは工業学校に行くため大阪に残りましたが、終戦後大阪が焼け野原となったため父は鹿児島に戻り大工として働き始めました。その後大阪の建築需要を見込み再び大阪に出て大工業を始めました。大工業として某ホースメーカーに出入するうちに技術を認められその会社に入社する事になりました。そして1957年日本で初めて樹脂製のフレキシブルホースを開発しフレキシブルホース業界に参入、その後世界にその名を知られる大企業へと成長するきっかけとなったとのことです。その後、当時の同僚と一緒に独立し事業を始めました、しかしその共同経営者が借金を作り逃げてしまい数年で倒産します。困った父はその頃使われずに放置されていた押し出し機を見つけ、それを借りて当時人気が出始めたフラフープを作ることを思いつきこれが成功しました。短期に借金を返済しただ けでなく次の会社の開業資金も作ることができたそうです。その後、経営上のトラブルで会社を去り、1967年新たに現ユーシー産業を設立。以前の従業員“有志”が集い“融資”してくれて生まれた会社なので、社名のユーシーは「有志」を意味するという事です。1979年分社化政策を取り各製造販売会社及び関連会社を合計14社設立し、ユーシー産業はそのホールディング会社となり、当時連結売上60億を超えるまで成長を遂げたのです。しかし、1981年にはその分社化政策が失敗し、ホース部門だけを残し各子会社を整理することになりました、その結果年商は4億まで減少し、多くの人がユーシー産業は早晩倒産すると考えたようです。同年現会長の永𠮷清治がアメリカ留学(経営学:ウェスタン・ミシガン大学)を終え入社し、1982年には私永𠮷昭二が同じくアメリカ留学(マーケディング:ウェスタン・ミシガン大学卒)を終え1月に入社しました、そしてこの年が親子3人で会社の復活を誓った第二の創業年となりました。その後は順調に業績を伸ばし、1994年創立30周年を記念しCI導入とエバックブランドを立ち上げ、翌年1995年には生産拡大に伴い鳥取工場を開設しました。更に2001年には、エアコンホース製造を目的に合弁にて広東省東莞市に「東莞友志塑料有限公司」設立し、現会長の永𠮷清治が社長に就任しました。2008年にホールディング会社としてエバック株式会社を設立、永𠮷清治が社長を就任し、製造・販売部門をユーシー産業とし現社長の私永𠮷昭二が就任しました。2013年創立50周年、翌2014年にはその功績が認められ永𠮷清治会長が黄綬褒章を受賞しました。一方、中国でのビジネス環境の不合理さに見切りをつけ2017年に「東莞友志塑料」を閉鎖し中国から撤退いたしました。(中国進出については会報2015年4月号「海外事情あれこれ」、2020年7月号「リレー随筆」として寄稿いただいています)

−社是・企業方針などをお聞かせください−
企業理念 魅力ある人・魅力ある製品・魅力ある会社
企業活動の基本 営業活動で得たユーザーからの情報と、これまで積み重ねてきた知力をインプット。自由な発想で思考・試作しアウトプットされるのが、技術、製品、サービスだと考えています。そしてお客様だけでなく全方位に対し、感謝とリスペクトの気持ちを忘れない事です。

−いま注力されている商品あるいは分野などについてお聞かせください−
注目商品は、フリーパイプです。曲がる塩ビ管として、あらゆる接続部に使用可能で、各施工の自由度と時短を図れる自慢の製品です。注目分野は空調機器の換気市場です、特にコロナ禍で注目を集めています。換気機能付きエアコンの換気ホースやハウジング向け換気ダクト(24時間換気の需要)など共に今後さらに市場が広がる可能性が大です。当社だけの独自技術「カフレスホース」にはまだまだ多くの開発テーマがあり、ユーザーに喜んで頂ける製品づくりをすすめていきたいと考えています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
社員はまじめで良く働いてくれます。会社自慢は、600件を超える特許や知的財産を有し、それら元に差別化した製品づくりが得意分野です。また若い技術者達が特許を出せるような環境づくりも目指しています。
−社長のご趣味をお聞かせください−
人と会うこと・話しすることです。様々な分野の多くの人と出会うことで多様な考え方や多くの知識と出会うことができます、何より自分をインスパイヤーしてくますし、人生を豊にしてくれます。ゴルフは上手くはありませんが、人との出会いという意味で趣味と言えるかもしれません。

ユーシー産業さんを訪問して
ご子息を二人ともアメリカの大学に留学させた創業者のお父様の英断と先見性も去ることながら、その期待に立派に応えられ、独自の技術開発と営業戦略で専門分野においては他社の追随を許さない会社へと成長させてこられたお二人に経営者としてのパワーを感じました。永𠮷社長とは懇親会やゴルフコンペでお顔を拝見するぐらいでこれまでお話しをする機会もなかったのですが、今回じっくりお話しを伺うことができ有意義な時間を過ごすことができました。
今後益々のご発展を祈念しております。 (事務局  三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2020/11/10 (322 ヒット)

大江産業株式会社










〒547−0035
大阪市平野区西脇1−17−22
TEL 06-6704-2644
FAX 06-6704-2696
社長  鎌田 政吾





−大江産業さんの歴史を教えてください−
創業者は私の父・鎌田義一です。昭和47年4月に36才で平野区喜連に大江商事を設立して、工業用ゴム製品の販売を始めたのが最初です。父は京都の福知山の出身で、「百人一首」でも有名な大江山の近くの大江高校を卒業しました。社名の「大江」はそこからとったと聞いています。設立から3年後には自社の加工体制を作り、その後徐々に拡張していく過程で手狭になったことから平成9年に現在の地に本社事務所兼加工工場を新築しました。大通りから一本内側に入った所ですので車の出し入れや、荷物の搬入・搬出などの際もまわりに迷惑をかける事が少なく、それが立地条件のひとつでもありました、まわりへの気配りを大切にしていた父らしい配慮だと思います。私は学生(近畿大学理工学部卒)の時からいずれは父の後を継がねばならないと思っていましたが、卒業後は全くの異業種の会社で6年間のサラリーマン生活を送ったあと平成6年に当社に入社しました。そして平成17年8月に37才で父の後を継いで社長に就任しました。その後、納品体制の強化 のため平成19年に第2工場、更に平成27年に本社から工場を切り離し、且つ設備を充実し新たに第1工場として新設しました。生産拠点を中国を主とした海外へ移す会社が多い時代に工場を拡張することに躊躇しましたが、規格品の大量生産品とは異なり当社オリジナルの加工技術と納品体制よるニーズは底堅いと信じ英断しました。結果、工場面積の拡大と設備の充実で加工技術並びに生産能力が大きく改善したことで客先からの難しい要求にも答えることができるようになり更なる需要に結びつけることができました。

−社是・基本方針などをお聞かせください−
「大胆」「繊細」「謙虚」は先代の時から社訓としています。「大胆」は己を信じて積極的に堂々と事に当たる、「繊細」は気配り心配りが出来る感受性を持つ、「謙虚」は相手を重んじ控えめな態度で接するという意味で、ずっーと大切に守っている精神です。社是の精神は父・義一の性格そのものでもあります。社内はもちろん、お取引先、仕入れ先との良好な関係を維持し発展させることを絶えず意識しています。社是ではありませんが、スローガンとして私が社員に対しことあるごとに言っているのは、「正確・迅速に且つ丁寧に」です。如何に基本に忠実に当たり前の事を当たり前にサラッとできるかを突き詰めるしかないと考えています。

−いま注力されている商品あるいは分野などについてお聞かせください−
当社は打抜き加工を得意としています。「抜き」は加工の入り口としては簡単なのですが、材料のバリエーションとか加工ノウハウは実に奥の深いものがあります。当社の強みである中・小ロット対応・短納期・品質保証体制などをさらに強化していきたいと考えています。一方、当社の不得手な分野はこれまで同様に外注さんに協力してもらいながら共存共栄を図っていきたいと考えています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
先代から踏襲した考え方ですが当社は縁の下の力持ちのような会社でありたいのです。決して目立つ訳ではないが、ただ無くてはならない会社、そういう会社でありたいと考えています。このことが今まで客先、仕入先双方と良好な関係を築き維持することができた大きな要因ではないかと思います。私自信まだまだ道半ばだと考えていますので自慢といえるほどのものはありません。強いていえば社員が気持ちよく働ける職場環境、それと当社独自の品質保証体制でしょうか、顧客から高い信頼を得ていると自負しています。一方、客先や協力会社による「大江会」としてゴルフ会を年に2回春と秋に開催しています。ただ今年はコロナ禍で開催できませんでしたが、次回で確か第50回になります。それだけ各社と良好な関係が築けていると思っています。また、20年以上前から導入しているパソコンによる販売管理システムをさらに使い勝手の良いものに改善しています。

−社長のご趣味をお聞かせください−
社長就任から15年たちました。現在53才です。私の考え方としてトップダウンで仕事を進めていますので、やらなきゃいけない事や決断しなければいけない事が多く結構多忙です。学生時代から運動にはあまり縁がありませんでした。ゴルフもしますが、どちらと言えば仕事の一環といった感じであまり熱心ではありません。読書は好きです、以前ほど多く読まなくなりましたが、いろんなジャンルの本を読んでいます。

大江産業(株)さんを訪問して
新型コロナ感染拡大の影響をうけて会議やイベントがことごとく中止になり、鎌田社長とも長らくお会いする機会もなかったのですが、今回会社を訪問させていただきゆっくりお話しをお伺いする機会を得ました。決して目立たず縁の下の力持ちのような会社でありたいというのが先代から引き継いだ基本方針とお聞きし、自分ファーストがまかり通る現代において我々が再度立ち戻らねばならない人としての原点のように感じました。
今後、益々のご発展を祈念しております。 (事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2020/10/01 (255 ヒット)

株式会社 オガノ












〒564−0052
大阪府吹田市広芝町6番1号
TEL 06-6386-1521
FAX 06-6386-1520
社 長  小賀野 哲朗



−オガノさんの歴史をおしえてください−
 私の祖父である小賀野眞一が創業者です。祖父は徳島から大阪に出て当時の檀浦護謨商会で10年ほどお世話になったのち昭和13年(1938年)に独立し、北区旅篭町において小賀野ゴム商店を創業しました。工業用ゴム製品の販売を開始し、やがて旧満州・台湾・朝鮮にも販路を拡大したとのことです。昭和20年6月大阪大空襲で社屋は焼失したものの翌21年北区梅ヶ枝町に再建し昭和23年には法人組織に改組、小賀野ゴム株式会社を設立しました。その後神奈川県藤沢市や栃木県佐野市、広島市に順次営業所を展開しました。オイルショックなどいくつものハードルを越えて昭和60年取扱商品多様化などにより社名を現在の株式会社オガノに変更しました。2代目社長は祖父眞一の長男である小賀野恵一が務めました。恵一は社長在職年数が一番長く、西部ゴム商組での組合活動も積極的に行っていたようで平成4年から2期副理事長を仰せつかったようです。しかし、恵一も高齢となりまた子供もいなかったため弟である私の父 小賀野宗弘が50代後半に3代目 を引き継ぐことになりました。父 宗弘はそれまでゴム業界とは畑違いの土木建築の設計事務所で長年 橋などの設計に携わっていました。一方、私は社業を継ぐという明確な意識もないまま父と同じ大学で通信工学を勉強し大学院卒業後は希望していた通信関係の会社で働いていました。しかし平成24年自分の置かれた立場に覚悟を決めオガノに入社しました。社員も皆快く迎えてくれ平成28年7月37才で4代目の社長に就任しました。そしてその翌年病気で父 宗弘が他界しました。私が入社した当時、以前から積極的に営業展開していた自動車の車載部品取引が大きく成長し、結果売り上げが倍増するなど恵まれたスタートをきることができました。

−社是・基本方針などを聞かせてください−
 社是というより経営理念〔自覚・責任・理想〕を文章化したものはあります。その内容にも関連するのですが、オガノは商社なのでメーカーに寄り過ぎてもダメですし、ユーザーに寄り過ぎてもダメだと私は考えています。より良いものを供給するためにそのバランスをしっかりとった対応を普段から社員一同心掛けています。商社としての「存在理由」をはっきり自覚し、単なる右から左への仕事をしないをモットーにしています。

−いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください−
 ゴム製品や樹脂製品はコスト面、拡販面で大きな成長は難しいです。ホース類は特装自動車向け(ダンプカー、ゴミ収集車、コンクリートポンプ車等)が多く、従来からの継続的な取引が主となっています。一方、注力している分野は加飾部品です、プラスチックにメッキを施した高級感のある部品で日本車や外車などの高級車に多く採用されています。自動車以外の分野にも需要が増えつつあり、今では当社の主力製品の一つとなっています。

−会社自慢・社員自慢をしてください―
樹脂加工によりパッキンなしで防水(止水)を可能にする構造設計でオガノとして初めて特許を取得しました。ゴム屋がパッキンいらずのアイデアを考えるのは何とも変な話ですが、この技術をどのように生かし営業に結び付けられるかが楽しみです。今後、デザインから構造設計そしてそれを形にして提供する或いはアッセンブリーするといったオガノ独自の営業形態を構築できれば営業ツールとしてアピールできると考えています。

−新型コロナウイルス感染症への対応についてお聞かせください−
 緊急事態宣言そして自粛要請、さらに三密の回避などに対応する為に、電車通勤は原則禁止し、全従業員車での出退勤と時差出勤の実施をしました。事務作業なども隣との距離を十分に取ったり、会議室を臨時に使用したりしました。今回の新型コロナウイルス感染症蔓延以前からテレビ会議などを行うなどテレワークの体制もとれていたのでその点はスムーズに対応できました。私は、ここ数ヶ月出張はもちろんの事、打合せや会議など軒並み中止で全くの巣籠状態でした。かなりストレスが溜まりました。

−社長の趣味についてお聞かせください−
 ジャンルを問わずスポーツ観戦それもライブ放送での観戦が大好きです。イチロー選手や大谷選手の大記録がかかった時の試合や、日本中を沸騰させた2019ワールドカップラグビーの南アフリカ戦など、歴史的瞬間に立ち会えた時の感激を味わえるのが嬉しいのです、録画やニュース映像ではダメです。ただ自分で何かスポーツをするかと言えば昔からこれと言ってありません、新型コロナが収まればまたゴルフを始めようかとは思います。


(株)オガノさんを訪問して
好きな通信業界の道を断念し創業者の直系として社業を継ぐ決心をされたとの事。あまたあるゴム製品、樹脂製品の商社のなか今後どのような成長戦略を立て会社を導いていかれるのか、理系出身の左脳的思考と感動を共有することのできる熱い心、それに何にもかえ難い若さをそなえた小賀野社長にエールです。今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)
 


投稿者 : admin 投稿日時: 2020/07/02 (540 ヒット)

享栄工業株式会社














〒547-0001
大阪市平野区加美北3丁目11-30
TEL 06-6792-3502
FAX 06-6792-3561
社長 市村 裕一





―享栄工業さんの歴史をおしえてください―
終戦後、父季春(スエハル)が満州から復員し、当時立売堀で工具屋をしていた兄弟といっしょに父も働いていたようです。その頃、客先を通じて知り合った「正栄ゴム商会」の社長と親しくなり、しばらくして父はそこの事務所の一角を借りて工具屋を始めました。正栄ゴムさんを通して父もゴム製品も扱うようになり、ゴムの勉強していくうちにゴムの加工に興味を抱くようになったらしいです。そして昭和34年にゴム加工業者として独立し「享栄ゴム製作所」を創業しました。3年後の昭和37年に会社を法人化し「享栄工業株式会社」としました、父が38才の時です。「享栄ゴム製作所」の社名の由来は、父は野球が好きで、ある日うどん屋で高校野球の放送を見ていた時、名古屋の「享栄高等学校」の粘りのあるいい試合ぶりを見て「そや会社の名前、この字でええやん」と、軽いのりで決めたと聞きました、名前にはあまり拘りはなかったようです。ただ仕事は真面目一徹、これと言った趣味もなく仕事一筋でした。そんな父が昭和52年、57才の若さ で亡くなりました、私が19歳の時でした。父は「ゴム屋はしんどいばかりで儲からんから、おまえはおまえの好きな道を進んだらええ」と常日頃言ってくれていたこともあり、当時私は興味のあったインテリアのデザイン学校に通っていました。しかし、父の死により半年でその道を断念し、父の残した会社に入社しました。19才の私に何ができるわけでもなく、結局仕事に関しては素人同然だった母が社長に就任し事業を継ぐことになりました。当初は大変だったと思いますが、徐々に仕事が面白くなっていったようで、私が社長を引き継ぐまでの23年間社長として会社を引っ張ってくれました、潜んでいた経営の才能が目覚めたかのようでした。その間、私は営業にはほとんど出ず工場で生産管理の仕事をしていました。デザイン学校時代に勉強した図面の知識を活用し、また元来の職人気質なところもあり工場の現場で物づくりに明け暮れました。それが功を奏したのかお客様からの難しい要望にもきめ細かく対応することができ喜んでいただいたと自負しております。平成16年に母の後を受け事業を引き継いだ後もその方針は変わっておりません。創業時からのお客様であり、いまも変わらず大事なお客様である千歳商事さん、愛善商会さん、西部ゴムさんとは本当に永くお付き合いをさせて頂いております。一方、6年前に縁あって、また得意先や同業他社の方々からの強い要望もあって、生ゴム製造・ゴムライニングの会社を購入し新星工業(株)を立上げました。その後、材質の幅も広げ自社向けはもとより今では様々なお客様と取引させて頂いております。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
特に社内に掲示はしていませんが「ゴムの製品で社会に貢献し、社員の生活を守る会社」です。これは、父の創業時から受け継いできた精神です。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
少ロット対応もできる生ゴム製造から各種ゴム製品製作まで自社でできる強味を最大限に生かしていきたいと考えています。お客様の要望をしっかり・じっくり聞き、最適な物造りを目指します。特定有害物質の使用制限に関するローズ対応商品と証明書発行が最近増えています。ハード面だけでなくこういったソフト面にも今後は注力していきたいと考えています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
全員真面目で頑張り屋です。現在社員の平均年齢は30代なかばです。昨今は働き方改革によりそうもいかなくなりましたが、かつてはお客様の要望に応えるためには深夜残業もいとわず頑張ってくれました。父から母に、そして私と三代60年に亘り創業の地で事業の拡大に合わせ建屋の増築・改築をしながらまじめにこつこつ事業をしてまいりました。今、働き方改革を契機に効率良く仕事を進める対策として工場内のレイアウトを社員も交え再検討し具体的に進めているところです。頑張り屋の母は、84才で今も元気です。
―社長の趣味についてお聞かせください―
学生の時は陸上競技をしていました、どちらかというと球技は苦手です。25才くらいから「サバイバルゲーム」にはまりました、途中ブランクはありますが今でも続けています。(2017年7月号会報癸隠毅海坊悩棔愡爐覆覆ぅ汽丱ぅ丱襪砲任けようぜ!』参照)。ただ、一年ぐらい前に友人からの勧めでゴルフを始めました。今、はまっています。一生懸命練習はするのですが、なかなか上達しません。皆さんの仲間入りをするのはもう少し待って下さい。

−享栄工業さんを訪問して−
社長を引き継いだ後も時には工場へ出向き製作の現場を手伝ったりされるとの事、本当にモノづくりが好きというお話しを聞いて、お客様から愛され信頼されている理由がわかったように思いました。いつお会いしても笑顔満面、誰からも好かれるそのお人柄が会社の姿勢そのものであるように感じました。一日も早いゴルフコンペ参加をお待ちしています。
今後益々のご発展を祈念しております。         (事務局 三島通弘)
 


投稿者 : admin 投稿日時: 2019/11/28 (476 ヒット)

長栄物産株式会社














〒550-0013
大阪市西区新町1丁目17-5信栄商会ビル 
TEL  06−6534−5691
FAX 06−6534−5714
社長 羽渕 繁



―長栄物産さんの歴史をおしえてください―
戦前、旧三井物産に勤めていた野村松夫が戦後の財閥解体を契機に昭和22年に繊維雑貨を扱う会社として長栄物産株式会社を立上げました。きっかけは当時繊維資材を扱っていた明治18年創業の村田長株式会社の社長(村田長兵衛氏)がつくった別会社を縁あってその全株を譲り受けたことに始まります。社名は、村田長兵衛氏の「長」と、栄えるの「栄」を用いて付けられたとのことです。偶然にも創業者の野村家は山口県の萩の出身だったので、長州出身者が繁栄するようにとの語呂合わせで「長栄」とつけたという冗談交じりの説もあります。設立当初は同郷の宇部興産(株)へ産業用繊維資材の納入を主としていましたが、後に同社の化学薬品、昭和32年にはセメント、昭和33年には硫酸の販売権を得るなど同社の各種製品の一次代理店としての地位を築いていきました。また一方では昭和29年に(株)ブリヂストンの代理店を取得し宇部興産蠅縫灰鵐戰▲戰襯箸糧稜笋盪呂瓩泙靴拭そして昭和44年には長栄ベルトサービス(株)を設立し、コンベアベルトのエンドレス加工、ヒレ付き加工の業務を開始しました。昭和47年創業者野村松夫が享年63歳で亡くなり、昭和56 年私の義父である野村和興が社長に就任しました。昭和63年、あるきっかけからシャープ(株)とのお付き合いが始まりプリント基板及び電子部品の販売を行う事になりました。そして平成19年には本社を現在の信栄商会ビルに移転したのち、平成21年5月私が野村和興の後を継いで38歳で社長に就任しました。シャープさんとの取引は同社の半導体関連の急成長に伴い電子部品以外にも宇部興産のエッチングガスやその清浄装置など当社との取引も増え、並行して国内外各所に営業拠点設けるなど企業規模が拡大していきました。最盛期は電子部品関連だけで売り上げの7割を占めた程です。反面、突然のシャープの経営危機によりその反動は大きく、大きな負の遺産となり事業の立て直しに大変苦労しました。この教訓を生かし現在の事業構成は、景気による振れ幅の大きい電子部品が約2割、樹脂プラスチック製品を中心に工業用品・産業資材などが約8割となっています。ただシャープ時代に築いた人脈は現在の販路に大いに役立ってはいます。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
私以前は、文字にした社是・理念などはなかったようです。私が社長になってから経営理念として 「お客様と仕入れ先様の架け橋として最善をつくす」
〜社員全員が仕事をしやすい環境の会社を目指す〜
を掲げています。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
創業以来の宇部興産さんやブリヂストンさんとの関係に根付いた商売の原点にもう一度立ち返り、代理店として何ができるのか、長栄でないとできない事は何なのかを社員一同掘り下げて、商社機能の再構築に注力したいと考えています。今後も多様化するお客様ニーズに迅速かつ的確にお応えし、お客様に満足していただける商品、サービスを提供していきたいと思っています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
一言でいうと「まじめ」です。 社員採用にあたっての私の基準は「まじめ」な人間かどうかがまず一番です。ここ4〜5年で人の入れ替わりもあり多少若返って平均年齢44歳ぐらいではないかと思います。ただ敢えて若返りを図るつもりはありません、若い人も年配者もそれぞれの職場、立場で元気に真面目に働いてくれており、それが旨く機能しています。得意先の関係で平成26年から中国・広州に営業所を出しました。当初は日本人・中国人各1名でしたが、いまは中国人の女性2名で運営しています、現地での言葉の壁がない分効率も上がります。もちろん日本語は流暢ですし、真面目によく働いてくれています。

―社長の趣味についてお聞かせください―
 趣味というよりライフワークかもしれません。わたしは、中・高・大と野球部に所属し大学では元大リーガーの田口壮さん等と共に野球漬けの毎日を送っていました。現在も関西学生野球リーグの審判や、少年野球チームの監督をしています。息子が小学生の時に、西宮市の「今津ファイターズ」の監督を頼まれ、以来13年たちます。今夏第41回全日本都市対抗少年野球スポーツデポ淡路島大会において27都市対抗のなか並み居る強豪を倒して優勝しました。自分でも快挙だと思います。「飛びぬけた選手がいるわけじゃない。大会を通じてチーム力をつけてくれた」とインタビューに答えることができました。昔のようなスパルタ一辺倒に比べ、少年野球の環境も大きく変わりました。褒めて伸びる子、叱って伸びる子、子供の性格を見ながら指導しています。モンスターペアレンツもいます。土曜・日曜日はほぼ野球です。野球で培われた指導力や他人との付き合い方は会社運営に多少は役立っているかもしれません。

長栄物産株式会社さんを訪問して
体育会系とは思えないいつもながらの柔らかな物腰、且つ紳士的なご対応にインタビューも和気あいあいのうちに進みました。過去の苦い経験を糧に更に強固な組織と健全な経営環境を構築すべく取り組まれてきたとのこと、心身ともにバイタリティーに溢れ、特に野球の話をお聞きするうちに趣味の枠をはるかに超えた底知れない情熱に大いに感銘を受けました。
今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局  三島通弘)
 


投稿者 : admin 投稿日時: 2019/09/20 (231 ヒット)




ツチダ産業株式会社






〒652-0804
神戸市兵庫区塚本通3−1−13
TEL  078−575-9851
FAX  078−575-2871
社長  土田晃義




―ツチダ産業さんの歴史をおしえてください―
昭和3年生まれの私の父、義弘が創業者で、戦後、断熱材を扱う個人商店で営業担当として働いていました。S25年父が23歳の時に客先であった中日本重工業(現三菱重工業)神戸造船所の方の薦めで独立し、船に使用する保温材、断熱材、耐火材など石綿製品を扱う土田石綿工業所を創業。戦後の復興需要に後押しされ中日本重工業(現三菱重工業)との取引も順調に伸び、また日本アスベスト(現ニチアス)の代理店にも指定され事業の基礎が確立します。昭和33年に蠹敕沈侈聞業所に改組、父が初代社長になり、昭和40年、東海ゴム工業(現住友理工グループ)の代理店となり、高圧ゴムホース、防振ゴム等の販売業務を開始しました。その後は業容を順調に伸ばし、昭和41年に現社名のツチダ産業蠅愍号を変更しました。また、三菱重工、川崎重工など客先の工場移転に伴い弊社も拠点を開設していきます。他方、ニチアスは三菱重工神戸造船所に船の隔壁材を納入していたのですが、その製作過程で恒温恒湿の環境が必要となることから弊社 が三菱重工のエアコンを納めることになり、そのようなご縁で昭和54年、三菱重工エアコン販売(現三菱重工冷熱)と特約店契約を正式に結び、エアコン及び関連商品の販売を始めました。私は大学卒業後はニチアスに入社し東京で1年勤めた後大阪に異動となり原子力.火力発電所の現場など工事監督として働いていました。昭和57年、父の体調が芳しくなくなったこともありニチアスを退社し弊社に入社しました。その父も平成元年3月に60歳で他界。翌年の平成2年に私が社長に就任、34歳の時でした。そして平成7年阪神淡路大震災が発生、本社社屋が被災、全壊しましたが、社員の人的被害がほとんど皆無だったことが不幸中の幸いで、この災害を全社一丸の団結力でこの困難を乗り切り、2年後の平成9年新社屋を竣工しました。三菱重工業を中心に保温・断熱関連、キャタピラー向けには高圧ホースや産業用ゴム・ウレタン・樹脂製品の販売、そして様々なお客様へエアコン・オフィス什器の販売、これら3本柱として顧客にとってなくてはならない会社を目指し現在に至っています。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
〈創業者の方針は〉
  SERVICE! SAFETY FIRST! ECONOMY!  GET RICH!
〈私の方針は〉
1.顧客第一
  お客様の立場になって物事を考えよ
2.総力結集
みんなの力で業績向上に努力しよう
3.自己啓発
反省と研鑽で時代の変化に対応しよう
父は服装もそうでしたが考え方も大変おしゃれでした。方針が英語というのもそうですし、社章や社名のデザインやロゴやイメージカラーも知合いの画家に依頼するといった拘りぶりでした。一方、私の方針は上記以外にも時代の変化に応じた行動指針、QC活動、企業のあり方など、朝礼や会議の場を利用し社員に周知するようにしています。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
皆さんにはまだ馴染みが無いと思いますが「ポリウレアライニング」です。本来は軍事用途として銃撃や爆風にも耐える強靭な引張強度をもつライニング材料として開発されたようです。今までのライニング素材と比較し耐水性、耐薬品性、対候性、超引張強度、伸び追随性などに優れており、且つ超速乾性があり吹付け後数秒から数分後には完全に硬化します。この特性から各種水槽や屋根などの補修用のライニング材として注目されています。ただコストが高いのが難点ですが、今後需要が伸びることが予想されており工事の受注に注力していこうと考えています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
オフィスです。ある事情で昭和61年から岡村製作所(現オカムラ)の販売代理店となっているのを活用し最新のオフィス環境を目指し昨年リニューアルしました。仕事の効率UPや健康面に配慮し上下昇降デスクなどの採用でちょっとしたショールームとなっています。また有給取得率の高さや残業ゼロは、昨今叫ばれている働き方改革を以前から実施しており、効率よく働き、大きな成果を上げる能力をもった社員が我が社の自慢です。

―社長の趣味についてお聞かせください―
スキーです。31歳から本格的に始め、そのシーズンで1級の資格をとりました。一時はチームに入り競技にも参加したこともありましたが、現在は個人で信州を拠点に年20日ほどスキーを楽しんでいます。最近は外国人のスキーヤーやスノーボーダーが増え以前とは様子が一変し、正直驚いています

ツチダ産業株式会社さんを訪問して
33歳で社長に就任されすでに30年、先代からの事業の継続・拡大、新たな分野への挑戦など意欲的に事業を行う一方で、オフィスの快適な環境づくりや残業ゼロを基本とするなど社員を大切にする経営方針、また多忙ななか趣味のスキーにも全力で取り組むなどその行動力に感銘を受けました。今後益々のご発展を祈念しています。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2019/04/20 (507 ヒット)


株式会社 コンゴ―







〒550-0005
大阪市西区西本町1−9−9
TEL 06−6110−7220
FAX 06−6110−7225
社長 井上卓也




―コンゴ―さんの歴史を教えてください―
創業者は私の父親の現会長です。父は最初(株)十川ゴムに入社し、その後十川産業(株)に移籍して16年間大阪の責任者として勤務していました。平成7年に奨められて独立する事になり住之江に事務所を構え(株)コンゴ−を設立しました、十川産業(株)、中興化成(株)を主たる仕入れ先とし、樹脂ホースやテフロン加工を中心に商売を始めたのがスタートです。今もこの両社様は当社の主要取引先となっています。ただ平成7年と言えば阪神大震災が発生した年です、さあこれからというタイミングの出来事でした。独立後の仕事始めは商売より神戸方面のお客さんに食糧や水を配ってまわることだったようです。また一方で、住之江に事務所を構えた際、建屋の元の持ち主がクリーニング業をされていたこともあり父は残されていた機材をそのまま利用し本業の傍らクリーニング事業を始めました。私は直接関わっていなかったのですが、この業界も片手間に出来るほど甘くはなく5年 ぐらいで手を引いたようです。父が独立したころは、私は大学を卒業し建設会社に入社し現場監督として働いていました。当時は会社を継ぐなどとは思いもしていませんでした。しかし、父の会社への熱い思いと私への強い期待に私も会社を継ぐ決意を固めました。そして主要仕入れ先でもあり、またお客様でもある中興化成(株)さんにお世話になることになりました。最初は本社の長崎の工場に勤務し製品づくりの基本を勉強させてもらいました。その後東京に移り営業を7年近く経験し、合計8年間在籍しました。当時は人手不足だったこともあり中興化成(株)さんには辞めるな、父からは早く帰ってこいと言われ、板挟みになっていたのを懐かしく思い出します。そして35歳ごろに父の(株)コンゴ―に入り、15年が経ちました。余談ですが会社の名前「コンゴ―」は、地元南河内のシンボル的な山である金剛山に由来しています。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
以前から文字にした社是といったものはありません、『加工という仕事を通じて、お客様のニーズを的確につかみ、他が真似の出来ないオリジナリティーを考案して商品開発を推進する』という父(会長)の思いや基本精神は引き継いでいます。ただその基本方針は堅持しつつ時代の流れにあった形に変えるべきところ変えていくようにはしています。私は常日頃、達成困難と思われるぐらいの高い目標を持つことが大切だと社員にも言っています。漫然と仕事をこなすのでなく、目標を立て、それにチャレンジすることが大切だと考えています。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
当社は創業時から樹脂で商売をし育った会社ですので以前はゴムは扱っていませんでした。ゴムは重い・安い・汚れるというイメージを持っていましたが、経営面でのリスク回避の意味でもゴムも扱うようになり、いざ始めるとゴム業界も裾野が広く興味深い商材だとわかってきました。
一方、人と人の繋がりを大事にしています、仕事に繋がる第一歩だと考えています。今後もゴム・プラスチック以外の業界の方とのお付き合いも広め、時代の変化に対応していきたいと考えています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
当社はテフロンベルトに特化した現場エンドレス加工も行っています。ゴムコン、樹脂コンに比べ施工業者の数も少なく価格競争に巻き込まれない強みがあります。また、社員の平均年齢の若さも自慢です。営業・事務・加工現場と若々しいスタッフを揃えています。

―社長のご趣味についてお聞かせください―
私は高校・大学とサッカーをしていました。信じてもらえないかも知れませんが当時はスポーツマン体形でした。いまは仕事が忙しいこともあり、これといったスポーツはしていません。敢えて言えばゴルフぐらいです。一方、父はこれまで(今もですが)仕事一筋で生きてきましたので仕事以外これといった趣味がないのが気にかかります。もっとこれからの人生楽しんで暮らして欲しいと思います。まあ父からすれば余計なお世話でしょうが。

(株)コンゴーさんを訪問して
井上社長とは会議や組合のイベントで簡単に言葉を交わすぐらいでこれまで親しくお話しをする機会もなく、寡黙でお話しするのをあまり好まれない方なのではと勝手に思っていました。ところがその思いはあっさり裏切られました。質問に対し、適格に且つ気配りも忘れず理路整然と時に冗談を交えながらのトークは今までの印象とはまるで違った経営者の顔がそこにありました。2代目を継がれて15年、創業者である会長の思いを受け継ぎながらも時代の変化を視野に入れ、更なる社業拡大への意欲を感じました。
今後ますますのご発展を祈念しております。

事務局 三島通弘


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