投稿者 : admin 投稿日時: 2019/11/28 (203 ヒット)

長栄物産株式会社














〒550-0013
大阪市西区新町1丁目17-5信栄商会ビル 
TEL  06−6534−5691
FAX 06−6534−5714
社長 羽渕 繁



―長栄物産さんの歴史をおしえてください―
戦前、旧三井物産に勤めていた野村松夫が戦後の財閥解体を契機に昭和22年に繊維雑貨を扱う会社として長栄物産株式会社を立上げました。きっかけは当時繊維資材を扱っていた明治18年創業の村田長株式会社の社長(村田長兵衛氏)がつくった別会社を縁あってその全株を譲り受けたことに始まります。社名は、村田長兵衛氏の「長」と、栄えるの「栄」を用いて付けられたとのことです。偶然にも創業者の野村家は山口県の萩の出身だったので、長州出身者が繁栄するようにとの語呂合わせで「長栄」とつけたという冗談交じりの説もあります。設立当初は同郷の宇部興産(株)へ産業用繊維資材の納入を主としていましたが、後に同社の化学薬品、昭和32年にはセメント、昭和33年には硫酸の販売権を得るなど同社の各種製品の一次代理店としての地位を築いていきました。また一方では昭和29年に(株)ブリヂストンの代理店を取得し宇部興産蠅縫灰鵐戰▲戰襯箸糧稜笋盪呂瓩泙靴拭そして昭和44年には長栄ベルトサービス(株)を設立し、コンベアベルトのエンドレス加工、ヒレ付き加工の業務を開始しました。昭和47年創業者野村松夫が享年63歳で亡くなり、昭和56 年私の義父である野村和興が社長に就任しました。昭和63年、あるきっかけからシャープ(株)とのお付き合いが始まりプリント基板及び電子部品の販売を行う事になりました。そして平成19年には本社を現在の信栄商会ビルに移転したのち、平成21年5月私が野村和興の後を継いで38歳で社長に就任しました。シャープさんとの取引は同社の半導体関連の急成長に伴い電子部品以外にも宇部興産のエッチングガスやその清浄装置など当社との取引も増え、並行して国内外各所に営業拠点設けるなど企業規模が拡大していきました。最盛期は電子部品関連だけで売り上げの7割を占めた程です。反面、突然のシャープの経営危機によりその反動は大きく、大きな負の遺産となり事業の立て直しに大変苦労しました。この教訓を生かし現在の事業構成は、景気による振れ幅の大きい電子部品が約2割、樹脂プラスチック製品を中心に工業用品・産業資材などが約8割となっています。ただシャープ時代に築いた人脈は現在の販路に大いに役立ってはいます。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
私以前は、文字にした社是・理念などはなかったようです。私が社長になってから経営理念として 「お客様と仕入れ先様の架け橋として最善をつくす」
〜社員全員が仕事をしやすい環境の会社を目指す〜
を掲げています。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
創業以来の宇部興産さんやブリヂストンさんとの関係に根付いた商売の原点にもう一度立ち返り、代理店として何ができるのか、長栄でないとできない事は何なのかを社員一同掘り下げて、商社機能の再構築に注力したいと考えています。今後も多様化するお客様ニーズに迅速かつ的確にお応えし、お客様に満足していただける商品、サービスを提供していきたいと思っています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
一言でいうと「まじめ」です。 社員採用にあたっての私の基準は「まじめ」な人間かどうかがまず一番です。ここ4〜5年で人の入れ替わりもあり多少若返って平均年齢44歳ぐらいではないかと思います。ただ敢えて若返りを図るつもりはありません、若い人も年配者もそれぞれの職場、立場で元気に真面目に働いてくれており、それが旨く機能しています。得意先の関係で平成26年から中国・広州に営業所を出しました。当初は日本人・中国人各1名でしたが、いまは中国人の女性2名で運営しています、現地での言葉の壁がない分効率も上がります。もちろん日本語は流暢ですし、真面目によく働いてくれています。

―社長の趣味についてお聞かせください―
 趣味というよりライフワークかもしれません。わたしは、中・高・大と野球部に所属し大学では元大リーガーの田口壮さん等と共に野球漬けの毎日を送っていました。現在も関西学生野球リーグの審判や、少年野球チームの監督をしています。息子が小学生の時に、西宮市の「今津ファイターズ」の監督を頼まれ、以来13年たちます。今夏第41回全日本都市対抗少年野球スポーツデポ淡路島大会において27都市対抗のなか並み居る強豪を倒して優勝しました。自分でも快挙だと思います。「飛びぬけた選手がいるわけじゃない。大会を通じてチーム力をつけてくれた」とインタビューに答えることができました。昔のようなスパルタ一辺倒に比べ、少年野球の環境も大きく変わりました。褒めて伸びる子、叱って伸びる子、子供の性格を見ながら指導しています。モンスターペアレンツもいます。土曜・日曜日はほぼ野球です。野球で培われた指導力や他人との付き合い方は会社運営に多少は役立っているかもしれません。

長栄物産株式会社さんを訪問して
体育会系とは思えないいつもながらの柔らかな物腰、且つ紳士的なご対応にインタビューも和気あいあいのうちに進みました。過去の苦い経験を糧に更に強固な組織と健全な経営環境を構築すべく取り組まれてきたとのこと、心身ともにバイタリティーに溢れ、特に野球の話をお聞きするうちに趣味の枠をはるかに超えた底知れない情熱に大いに感銘を受けました。
今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局  三島通弘)
 


投稿者 : admin 投稿日時: 2019/09/20 (47 ヒット)




ツチダ産業株式会社






〒652-0804
神戸市兵庫区塚本通3−1−13
TEL  078−575-9851
FAX  078−575-2871
社長  土田晃義




―ツチダ産業さんの歴史をおしえてください―
昭和3年生まれの私の父、義弘が創業者で、戦後、断熱材を扱う個人商店で営業担当として働いていました。S25年父が23歳の時に客先であった中日本重工業(現三菱重工業)神戸造船所の方の薦めで独立し、船に使用する保温材、断熱材、耐火材など石綿製品を扱う土田石綿工業所を創業。戦後の復興需要に後押しされ中日本重工業(現三菱重工業)との取引も順調に伸び、また日本アスベスト(現ニチアス)の代理店にも指定され事業の基礎が確立します。昭和33年に蠹敕沈侈聞業所に改組、父が初代社長になり、昭和40年、東海ゴム工業(現住友理工グループ)の代理店となり、高圧ゴムホース、防振ゴム等の販売業務を開始しました。その後は業容を順調に伸ばし、昭和41年に現社名のツチダ産業蠅愍号を変更しました。また、三菱重工、川崎重工など客先の工場移転に伴い弊社も拠点を開設していきます。他方、ニチアスは三菱重工神戸造船所に船の隔壁材を納入していたのですが、その製作過程で恒温恒湿の環境が必要となることから弊社 が三菱重工のエアコンを納めることになり、そのようなご縁で昭和54年、三菱重工エアコン販売(現三菱重工冷熱)と特約店契約を正式に結び、エアコン及び関連商品の販売を始めました。私は大学卒業後はニチアスに入社し東京で1年勤めた後大阪に異動となり原子力.火力発電所の現場など工事監督として働いていました。昭和57年、父の体調が芳しくなくなったこともありニチアスを退社し弊社に入社しました。その父も平成元年3月に60歳で他界。翌年の平成2年に私が社長に就任、34歳の時でした。そして平成7年阪神淡路大震災が発生、本社社屋が被災、全壊しましたが、社員の人的被害がほとんど皆無だったことが不幸中の幸いで、この災害を全社一丸の団結力でこの困難を乗り切り、2年後の平成9年新社屋を竣工しました。三菱重工業を中心に保温・断熱関連、キャタピラー向けには高圧ホースや産業用ゴム・ウレタン・樹脂製品の販売、そして様々なお客様へエアコン・オフィス什器の販売、これら3本柱として顧客にとってなくてはならない会社を目指し現在に至っています。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
〈創業者の方針は〉
  SERVICE! SAFETY FIRST! ECONOMY!  GET RICH!
〈私の方針は〉
1.顧客第一
  お客様の立場になって物事を考えよ
2.総力結集
みんなの力で業績向上に努力しよう
3.自己啓発
反省と研鑽で時代の変化に対応しよう
父は服装もそうでしたが考え方も大変おしゃれでした。方針が英語というのもそうですし、社章や社名のデザインやロゴやイメージカラーも知合いの画家に依頼するといった拘りぶりでした。一方、私の方針は上記以外にも時代の変化に応じた行動指針、QC活動、企業のあり方など、朝礼や会議の場を利用し社員に周知するようにしています。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
皆さんにはまだ馴染みが無いと思いますが「ポリウレアライニング」です。本来は軍事用途として銃撃や爆風にも耐える強靭な引張強度をもつライニング材料として開発されたようです。今までのライニング素材と比較し耐水性、耐薬品性、対候性、超引張強度、伸び追随性などに優れており、且つ超速乾性があり吹付け後数秒から数分後には完全に硬化します。この特性から各種水槽や屋根などの補修用のライニング材として注目されています。ただコストが高いのが難点ですが、今後需要が伸びることが予想されており工事の受注に注力していこうと考えています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
オフィスです。ある事情で昭和61年から岡村製作所(現オカムラ)の販売代理店となっているのを活用し最新のオフィス環境を目指し昨年リニューアルしました。仕事の効率UPや健康面に配慮し上下昇降デスクなどの採用でちょっとしたショールームとなっています。また有給取得率の高さや残業ゼロは、昨今叫ばれている働き方改革を以前から実施しており、効率よく働き、大きな成果を上げる能力をもった社員が我が社の自慢です。

―社長の趣味についてお聞かせください―
スキーです。31歳から本格的に始め、そのシーズンで1級の資格をとりました。一時はチームに入り競技にも参加したこともありましたが、現在は個人で信州を拠点に年20日ほどスキーを楽しんでいます。最近は外国人のスキーヤーやスノーボーダーが増え以前とは様子が一変し、正直驚いています

ツチダ産業株式会社さんを訪問して
33歳で社長に就任されすでに30年、先代からの事業の継続・拡大、新たな分野への挑戦など意欲的に事業を行う一方で、オフィスの快適な環境づくりや残業ゼロを基本とするなど社員を大切にする経営方針、また多忙ななか趣味のスキーにも全力で取り組むなどその行動力に感銘を受けました。今後益々のご発展を祈念しています。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2019/04/20 (172 ヒット)


株式会社 コンゴ―







〒550-0005
大阪市西区西本町1−9−9
TEL 06−6110−7220
FAX 06−6110−7225
社長 井上卓也




―コンゴ―さんの歴史を教えてください―
創業者は私の父親の現会長です。父は最初(株)十川ゴムに入社し、その後十川産業(株)に移籍して16年間大阪の責任者として勤務していました。平成7年に奨められて独立する事になり住之江に事務所を構え(株)コンゴ−を設立しました、十川産業(株)、中興化成(株)を主たる仕入れ先とし、樹脂ホースやテフロン加工を中心に商売を始めたのがスタートです。今もこの両社様は当社の主要取引先となっています。ただ平成7年と言えば阪神大震災が発生した年です、さあこれからというタイミングの出来事でした。独立後の仕事始めは商売より神戸方面のお客さんに食糧や水を配ってまわることだったようです。また一方で、住之江に事務所を構えた際、建屋の元の持ち主がクリーニング業をされていたこともあり父は残されていた機材をそのまま利用し本業の傍らクリーニング事業を始めました。私は直接関わっていなかったのですが、この業界も片手間に出来るほど甘くはなく5年 ぐらいで手を引いたようです。父が独立したころは、私は大学を卒業し建設会社に入社し現場監督として働いていました。当時は会社を継ぐなどとは思いもしていませんでした。しかし、父の会社への熱い思いと私への強い期待に私も会社を継ぐ決意を固めました。そして主要仕入れ先でもあり、またお客様でもある中興化成(株)さんにお世話になることになりました。最初は本社の長崎の工場に勤務し製品づくりの基本を勉強させてもらいました。その後東京に移り営業を7年近く経験し、合計8年間在籍しました。当時は人手不足だったこともあり中興化成(株)さんには辞めるな、父からは早く帰ってこいと言われ、板挟みになっていたのを懐かしく思い出します。そして35歳ごろに父の(株)コンゴ―に入り、15年が経ちました。余談ですが会社の名前「コンゴ―」は、地元南河内のシンボル的な山である金剛山に由来しています。

―社是・基本方針などを聞かせてください―
以前から文字にした社是といったものはありません、『加工という仕事を通じて、お客様のニーズを的確につかみ、他が真似の出来ないオリジナリティーを考案して商品開発を推進する』という父(会長)の思いや基本精神は引き継いでいます。ただその基本方針は堅持しつつ時代の流れにあった形に変えるべきところ変えていくようにはしています。私は常日頃、達成困難と思われるぐらいの高い目標を持つことが大切だと社員にも言っています。漫然と仕事をこなすのでなく、目標を立て、それにチャレンジすることが大切だと考えています。

―いま注力されている商品或いは分野などについて聞かせてください―
当社は創業時から樹脂で商売をし育った会社ですので以前はゴムは扱っていませんでした。ゴムは重い・安い・汚れるというイメージを持っていましたが、経営面でのリスク回避の意味でもゴムも扱うようになり、いざ始めるとゴム業界も裾野が広く興味深い商材だとわかってきました。
一方、人と人の繋がりを大事にしています、仕事に繋がる第一歩だと考えています。今後もゴム・プラスチック以外の業界の方とのお付き合いも広め、時代の変化に対応していきたいと考えています。

―会社自慢・社員自慢をしてください―
当社はテフロンベルトに特化した現場エンドレス加工も行っています。ゴムコン、樹脂コンに比べ施工業者の数も少なく価格競争に巻き込まれない強みがあります。また、社員の平均年齢の若さも自慢です。営業・事務・加工現場と若々しいスタッフを揃えています。

―社長のご趣味についてお聞かせください―
私は高校・大学とサッカーをしていました。信じてもらえないかも知れませんが当時はスポーツマン体形でした。いまは仕事が忙しいこともあり、これといったスポーツはしていません。敢えて言えばゴルフぐらいです。一方、父はこれまで(今もですが)仕事一筋で生きてきましたので仕事以外これといった趣味がないのが気にかかります。もっとこれからの人生楽しんで暮らして欲しいと思います。まあ父からすれば余計なお世話でしょうが。

(株)コンゴーさんを訪問して
井上社長とは会議や組合のイベントで簡単に言葉を交わすぐらいでこれまで親しくお話しをする機会もなく、寡黙でお話しするのをあまり好まれない方なのではと勝手に思っていました。ところがその思いはあっさり裏切られました。質問に対し、適格に且つ気配りも忘れず理路整然と時に冗談を交えながらのトークは今までの印象とはまるで違った経営者の顔がそこにありました。2代目を継がれて15年、創業者である会長の思いを受け継ぎながらも時代の変化を視野に入れ、更なる社業拡大への意欲を感じました。
今後ますますのご発展を祈念しております。

事務局 三島通弘


投稿者 : admin 投稿日時: 2019/01/20 (188 ヒット)


共同ゴム株式会社


 〒551−0002
 大阪市大正区三軒家東4丁目10番23号
 TEL  06-6552-3601
 FAX  06-6552-3602
 社長 宮澤 洋


―共同ゴムさんの歴史を教えてください―
 昭和13年(1938年)、初代林新三が、大阪市南区上汐町において共同ゴム商会を創業しました。今年で創業80年になります。社名の由来は近江商人の“三方よし”の精神に共感して名付けたと聞いています。当時は主として軍需及び工業用ゴム製品を取り扱ったようです。戦災により事業を中断しましたが、戦後まもなく昭和21年12月に再興したとのこと。その後、日本の復興は重工業からの見通しのもと重工業関連の大手企業を得意先として営業展開を行い、三井鉱山の関連で昭和25年に福岡営業所を開設、昭和43年に住友金属工業鹿島製鉄所の開業に合わせて東京営業所を開設、日立造船からはダムをはじめとする水門関連の仕事を請け負うなど業容を順調に拡大していったようです。水門関連は定期的な補修工事が発生します、当社が金型を持っている強みもあり厳しい価格競争は強いられるものの50年くらい前から今も毎年コンスタントに受注してい ます。昭和34年林新三の死去に伴い、実弟の林久壽夫に引き継がれます。林久壽夫には実子がいなかった為、平成9年(1997年)当時取締役であった岸田哲夫が三代目の社長を引き継ぐことになりました。私は四代目で岸田哲夫の義理の息子にあたります。学生時代お付き合いしていた女性がたまたま岸田哲夫さんの娘さんだったという縁で平成28年4月に入社し、平成29年(2017年)に社長を引き継ぐことになりました。私は静岡県の片田舎の出身ですが、高校からはサッカーで有名な磐田市に下宿し、さらに大学は京都で下宿という生い立ちです。この会社に入るまでは今の業種とは全く縁のない世界で16年間サラリーマンをしていました。

―共同ゴムさんの社是、企業方針などをお聞かせください―

今から40年ぐらい前に、社訓を社内コンテストで募集し決めたようです。それが現在ホームページに掲げているものです。
社訓  三つの心  
一 努力の心、一 反省の心、一 感謝の心
ただ、以降半世紀が経ちますので、新たに社是、社訓を再考してみようと思案中です。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください―

 初代社長以降築いてきた大手得意先との直需取引、中でも定期的なメンテ仕事を大事にすると同時に、今までに築いてきた商流を活用し品種に捉われないゴムホース・ベルト、ゴム板等工業用ゴム製品などの幅広い商材販売の二本立てはこれからも継続していきたい思っています。また今後はゴム・樹脂の専門総合商社として今まで培った実績と情報収集力を武器に的確にそして迅速にお客様のニーズにお応えするとともに、アフターケアにも力を注いでいくことが重要だと考えています。

―会社自慢、社員自慢をしてください―
古くからの得意先も多いこともありベテラン社員は嘱託として残ってもらう一方、10年ぐらい前から社員の若返りを図りました。社長である私自身が42歳ですし、他も40代、30代です、今年新たに20代が入社しました。みんなで飲みに行ったりカラオケにもよく行きます。皆性格も素直で本当に真面目です、こらからが楽しみです。この本社も5年前に谷町からこの場所に新築・移転しました、周りの環境も良く働きやすい職場だと思います。

―ご趣味をお聞かせください―

大学卒業後、スポーツ新聞社に入社し最初は野球を担当しました。地元阪神ファンの熱狂ぶりは静岡生まれの私としては唯々驚くばかりでした。その後好きなサッカー担当として地元関西のJリーグのチームをはじめ、日本代表、またワールドカップやオリンピックなどスポーツ記者として国内外を取材で飛び回っていました。ある意味楽しい充実した期間を経験しました。ただ私本人は、かなりのめんどくさがり屋で、ジムに行っての着替えやシャワーも考えるだけでも邪魔くさくなります、なのでスポーツはあまりしません。ただ最近になってゴルフを始めましたがまだまだこれからです。趣味といえば飲みに行くことと読書ぐらいです。読書に関してはジャンルは広いです。経営の本、ハウツー本、歴史もの、サスペンスなどなど、本でも雑誌でも活字が手元にないと落ち着かない一種の活字中毒かもしれません。


共同ゴム(株)さんを訪問して
元スポーツ新聞の記者という異例の経歴をお持ちの4代目宮澤洋社長、縁あって経営者という立場でこの業界に身を置くことになりまだ少し戸惑いを感じつつも意欲的に事業に取り組まれている姿勢に爽やかさを感じました。今後は組合事業にも積極的に参加していただけるとの意向をお聞きし嬉しく思います。
今後ますますのご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2018/10/04 (451 ヒット)


カンケンフローシステム株式会社

  〒572−0819
  寝屋川市大成町13−5
  TEL 072-811-8600
  FAX 072-811-8611

  社長 飯野勝久


  (左から 社長、会長、取締役)

―カンケンフローシステムさんの歴史を教えてください―

私の父の飯野知寛(現会長)が創業者です。父の生まれは山梨県です。東京に出て建設部品会社に就職したのですが2年足らずで西も東も分からない大阪の地へ赴任を命じられ営業所長とし頑張っていたそうです。昭和46年、28歳の時に故あってその大阪営業所を買い取って「関西建機株式会社」を設立、独立したとのことです。創業した年に長女(現取締役 飯野知栄美氏)が生まれその後、文字通り粉骨砕身・八面六臂の働きで仕事に邁進していたようです。平成5年4月に本社機能を守口に移転し、社名を現在の「カンケンフローシステム株式会社」に変更しました。社名の由来は、関西建機の頃より「カンケンさん」と得意先より呼ばれていたことと、仕入れ先の螢汽ラフローシステムズ(現 櫻テクノ(株))との付き合いが深かった為でもあります。私はというと、大学(工学部 電気工学科)を卒業し、5年間大阪の自動車メーカーに勤務した後、平成15年に今の 会社に入社しました。平成22年現会長が67歳の時、社長職を継ぐことになりました。そして平成27年に守口の倉庫と枚方の本社を統合し、ここ寝屋川に新社屋を建設し移転しました。設立当時は様々な建機部品を取り扱う会社でありましたが、今では高圧ホースのアッセンブリ―を主として、高圧ホースや口金の単体販売に加え、その接続部品であるアダプターやカプラーなど多品種の在庫を誇り、いかなるニーズにも対応できる会社として認知して頂けるようになりました。

―カンケンフローシステムさんの社是、企業方針などお聞かせください―

企業理念  More Quickly(より迅速に! 即答・即応・即納)
企業方針 一つのことを追求するも良し、浅く広く知るも良し。ただ他人より一つ多くのことを学べ。
社訓 
・顧客第一の精神
 顧客の立場になって物事を考え、即答・即応・即納をもって対応すること。
・自発的行動
 自らが考え、行動すること。
・笑顔、挨拶、感謝、礼儀
 笑顔を忘れず、元気よく挨拶すること。
何事にも感謝の気持ちを持ち、常に礼儀をもって対応すること。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください―

企業理念を実効性のあるものにすることです。私どもの取り扱い商品は補用品が多いため、緊急を要することが多く、速さと正確さが求められます。ホース本体はもちろん口金、フランジ、ユニオン、アダプターやカプラーなどお客様の要望に迅速に対応しなければなりません。本社工場の自動倉庫システムはそれらを支えるインフラです。会長の数々のアイデアが今も工場を支えています。また、お客様の緊急ニーズにお応えする“動く工場”が全社で10台あります、高圧ホースアッセンブリーの即納体制を常に整えるべく「高圧ホースアッセン車による出張製作体制」を確立しています。一方、高圧ホース自体は特に新しい製品云々は少ないですがそれに取り付く周辺部品がどんどん新しくなっています、それらの情報収集並びに客先への情報発信にも今後注力いていくつもりです。結果的に高圧ホースの売り上げにも繋がると考えています。本業以外への事業の試みとして2年ぐらい前からゴルフ事業を始めました。「入っちゃう!パットの法則」の著書で有名な星谷孝幸氏との協業で独自のパット科学理論に基づく「ストレート軌道ロボット」の開発・製造を手掛けました、パット矯正マシンです。現在ゴルフクリニックやインドア練習場向けに販売を行っています。今はスイングマシーンを開発中で、近く製品化する予定です。今後も機会があれば新しい事業にも積極的にチャレンジしていきたいと考えています。

―会社自慢、社員自慢をしてください―

1000種類以上の部材の保管在庫があります。コンピューター管理の自動倉庫システムにより在庫状況をどこからでも瞬時に正確に把握できます。特に下限在庫もわかるように設定していますので常に適正な在庫管理が可能となっています。

―ご趣味をお聞かせください―

小学校から高校までサッカー部、その後30歳ぐらいまでサッカーをしていました。今はゴルフ、スキューバダイビングなどです。スポーツはするのも観るのも好きです。子供と一緒に楽しんだりもしています。

カンケンフローシステム(株)さんを訪問して
ゴルフコンペ「どんぐり会」で華やかなデビューをされ一躍その名が知れ渡った飯野社長。スポーツマンらしい爽やかさを滲ませつつ将来を見据えた事業へ熱い思いを丁寧にまた分かり易く語っていただき、新たな一面を伺い知ることができました。またお忙しいなか会長と取締役にも同席いただき有難うございました。
今後ますますのご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2018/06/13 (441 ヒット)



コーキマテリアル株式会社
〒550−0013
大阪市西区新町4丁目10番31号
TEL 06-6531-2401
FAX 06-6535-1469
社長 犬伏博明

−コーキマテリアルさんの歴史を教えてください−

私の祖父の犬伏義勝が大阪の老舗のゴム屋さんでの修業のあと、祖父の叔父が大正12年に西区江の子島で起こした工機ゴム洋行に勤めたことが始まりです、主として工業用ゴム製品を取り扱っていたと聞いています。そこで営業部長として頑張っていたのですが、昭和12年戦争応召のため閉鎖、昭和20年3月戦災で新町の事務所は消滅しました。戦災で何一つない丸裸の状態のなか復員してきた祖父義勝がその頃家族が縁あって身を寄せていた枚方の大阪府立種畜場で働くことになり祖父は乳牛の乳しぼり、父国明は農場に入って家畜の餌作りと本当に苦労したようです。いつまでもこの様な状態ではと一念発起し、昭和23年11月建売住宅を取得し工機ゴム営業所として復興創業し現在に至っております。当時は皆さんそうだったようですが、その頃父も100キロ近いゴム板を自転車に積んで配達したり、谷町の坂道を太いサクションホースを背中にもたれさせて配達したりと今では冗談のように聞こえる話ですが、猪突猛進脇目もふら
ず社業に専念したときいています。昭和30年法人組織に改め、その後幾多の試練を乗り越え、平成4年現在の西区新町4丁目に移転しました。
私は、35年前の昭和58年大学を卒業し、社業への思いもありタイガースポリマーさんに入社しました。東京支店の営業部に配属となり、同期入社の方たちと数年間寮生活をしました。ゴムの知識はもとより、社会人として、また営業マンとしての基礎を学ぶことができ貴重な経験となりました。その後、昭和60年に父の会社に入り水道関係や消防関係を主に営業に奔走しました。そんな中、平成13年先代社長である私の父国明が亡くなり、事業を引き継ぐことになりました。翌年、社名をコーキマテリアル株式会社に変更し現在に至っています。

−コーキマテリアルさんの社是、企業方針などお聞かせください−

座右の銘は易経の「積善余慶」です。意味は、善いことを重ねた家は、その報いとして幸せが子孫にまで及ぶということです。
コーキマテリアルとは
○工は工夫
○機は機械・好機 つまり、チャンスを掴んで
○マテリアルは重要なもの、大切なもの、素材という意味です

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください−

我が社は、戦前より工業用特殊ゴム板、消防用ホース、酒造用ホース、成形品、加工品をはじめ、健康で豊かな暮らしを支える水道事業関連の各種ゴム輪、各種バルブ用ゴム製品、水道メーター、止水栓用パッキングを主事業としてまいりました。一方で以前より某メーカー向けにセンサー機器用のゴム製部品も納入しているのですが今後更に需要増が見込める分野だと期待しています。また、永年にわたる実績に加え、グリス無しでシール性を確保しながら摩耗しにくい表面滑性のあるゴム(表面改質)などの最新技術を製品化もしています。シリコン、ガラス、フッ素の表面改質技術とその製品化に傾注しています。一方、ゴムの特性を生かした健康用具の開発・販売にも注力しています。遠赤外線ゴムで癒し効果のある指圧器具の「ラブラックス」をはじめ、指や手のひらの末梢神経を刺激しながら、身体全体のリンパの流れを促すことで日常のストレスや疲れを軽減する「フットケア・リンパドレナージュ」の用具として「爪もみシリーズ」を製品化しました。「健康で豊かな生活」「積善余慶」の実践として医療従事者と協力してこれらの器具・用具の開発・販売・普及活動をしています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−

とにかく笑いの絶えない職場です。一芸・多芸の社員ばかりです。外から見ると、いつもニコニコした社員ばかりで気味悪いかもしれません。一方、仕事面では社員全員がどの分野もこなすことができるというのが当社の自慢です。学校卒業後しばらく他社に勤めていた長男も今は専務として頑張ってくれています、心強く思っています。
−ご趣味をお聞かせください−


食べ歩き、飲み歩きです。とにかく美味しいものには目がありません、美味しい店があると聞けばどこへでも出かけていきます。一方「体全体を使っての正しい歩き方」を実践するノルディックウオーキングを10年前に始め、数年前にインストラクターの資格を取得しました。毎週火曜日大阪城脇のクリスタルタワーに集合して早朝から1時間ウオーキングしています。興味のある方は、お問い合わせください。

コーキマテリアル(株)さんを訪問して
事務所に入ってびっくり、ところ狭しと健康器具らしきものがびっしりと並べられていました。本業の工業用ゴム製品とは別に、ゴムの特性を利用して人々を健康にしたいとの社長の思いの強さに驚かされました。本業の拡充に意欲を燃やす反面、健康用具の開発・販売に努力を惜しまないユニークな経営、何よりその持ち前のマシンガントークに圧倒された1時間半となりました。
今後益々のご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2017/11/07 (842 ヒット)



亀喜工業株式会社
〒650−0046
神戸市中央区港島中町2丁目2番1
TEL 078−302−2619
FAX 078−302−8316
社長 長澤 昭二

−亀喜工業さんの歴史を教えてください−
 創業者は私の義父である長澤省吾です。平成13年に72歳で亡くなりましたが、業界ではかなり有名な「猛者(もさ)」だった人です。昭和4年兵庫県三田で生まれ、16歳で太平洋戦争の終戦を迎えました。現在の兵庫県立有馬高校(前身は創立120年の伝統校である兵庫県立三田農林学校)を卒業した後、私の妻の(母方の)祖父が起こした田川工業に丁稚奉公にはいりました、それがこの業界に入った始まりです。
やがて昭和28年、26歳で独立し、神戸市兵庫区(現中央市場内)で長澤商店を個人創業したとのことです。強引で強気だが、商売感はするどかったのでしょう。厳しい戦後の復興を乗り越え、昭和30年代の高度経済成長の波にも乗り、商売を順調に伸ばしていきました、そして昭和44年には亀喜工業株式会社に改組しました。営業所も京都、滋賀、神奈川と順次開設し、昭和55年には現在のポートアイランド内に本社ビルの建設と同時に移転しました。
私は、昭和57年に亀喜工業に入社しました。学生時代からお付き合いをしていた女性がたまたま創業者である省吾の長女だったのです。大学を卒業して、繊維輸出の貿易会社に勤めていたのですが、義父の要望もあり結婚を機にこちらに入社しました。それから「猛者」の義父の元で厳しい試練が始まりました。義父との確執はすさまじいものでした。会社を辞めようかと何度か悩んだこともありました。ただ一方で義父からはいろんな事を学びました、そしてその苦しかった時代が私自身の人間力を養ってくれたのだと思っています。その義父が平成13年に亡くなり、同年私が二代目社長を引き継ぐことになりました。

−亀喜工業さんの社是、企業方針などお聞かせください−
社是は「初心不可忘」(初心忘るべからず)です。一方、最近心がけている事は
1.エンジニアリング部門の強化、
2.全国に広がる営業網を強化しこれまでの在庫能力と合わせた、他社に真似のできない物流体制の確立
3.亀喜マンひとりひとりのスキルアップです。
扱う商材に差別化するものが少なくなっています。亀喜工業は人の差別化を目指しています。私が考える差別化とは、商品知識は当然の事として、いわゆる「すなおで、あかるく、元気よく」人に好かれる人になることです。人として、社会人としてそれが一番大切だと考えています。そのために年に4回研修を行っています。社内研修ですが、新入社員研修、若手社員研修、中堅幹部研修A、中堅社員研修Bの4回です。各回20〜30人を集め、まず金曜日夜に懇親会をし、翌土曜日9時から15時半ぐらいまでみっちり研修をします。
社長になって15年間ずっと私が講師を務めてきましたが、最近、長年大手企業に在籍し、いろんな研修業務に長けた人材が入社したこともあり、今では研修プログラムもかなり充実したものになってきました。今年も更にブラシュアップした研修にしていこうと準備を進めています。ありきたりな教育でなく、亀喜工業社員向けのオリジナルな教育を心掛けています。

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください−
商社ですから新規開拓は常に目指しています。ありきたりの商材では話しを聞いてもらえません。今は省エネ、環境対応が突破口になるのではないでしょうか。ネットショップでは対応ができない物件工事にも注力しています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
亀喜工業の社員はすなおで、あかるく、元気です。社員はほとんど中途採用です。一時新卒を採用したこともありましたが、我々の規模では新卒は難しいです。それよりも、社会人を4〜5年経験したあたりがいいようです。

−ご趣味をお聞かせください−
大学時代はスキー部でした。種目はアルペンでした。いまはもうしていません。現在の趣味は麻雀とゴルフです。私は、博才はあまりありません。私見ですが、博才がありすぎるのは身を持ち崩します。もちろん社長には不向きです。卓を囲んでの心理ゲームは楽しいものです。


亀喜工業蠅気鵑鯔問して
今回は亀喜工業蠅気鵑鯔問しました。山と海の街神戸三宮からポートライナーに乗って約20分北埠頭駅に程近いところに本社があります。昨年5月より理事を務めてい頂いている長澤社長ですがゆっくりとお話しをお聞きするのは今回が初めでした。先代社長のもとでの苦労話、理想とする社員像、そして今後の会社の目標など、社長の思いをお聞きしていくなかで、普段の佇まいとはまた違った一面をうかがえ、印象を新たにしたインタビューとなりました。
今後、益々のご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)


(1) 2 3 4 5 »