投稿者 : admin 投稿日時: 2017/05/10 (57 ヒット)

(左:会長、右:中島社長)

株式会社 愛善商会

〒540-0003
大阪市中央区森之宮中央2−8−16
TEL 06−6966−2371
FAX 06−6966−2370
社長  中島 啓

−愛善さんの歴史を教えてください−
私の祖父 中島善太郎が当時工業用ベルトを手広く扱っていた村上商店に丁稚奉公に入り、そこでベルト業を覚えたようです、やがて昭和10年10月に天王寺区小橋でベルトやその関連品も扱う商店として創業しました。そして徐々にベルトをメインに扱うようになっていきました。戦時下では、南方方面や満州に出征しましたが、運が良かったのでしょう、岡山で終戦を迎えました。戦後の混乱期も過ぎた昭和29年に株式会社に改組し愛善商会を設立、本社を中央区安堂寺町に移しました。その後は日本経済の好調な波に乗り、東京進出や新工場建設や東大阪市大阪機械卸業団地内に営業所を開設など順調に社業が発展しました。昭和56年には、お得意先さまのニーズに合わせ、合成樹脂加工業務にも手を拡げました。平成2年祖父の後を受け、父善一郎が2代目社長に就任しました。株価の大暴落や地価の崩壊など日本全体を未曾有の混乱に落とし込んだバブルの崩壊の時期でした。しかしその難局を社長以下、社員一同の結束で乗り切ることができました。「失われた10年」と言われた長期不況が少し回復した当時、人を募集しようとしたのですが、社屋の古さや交通の便の悪さからか、誰も来てくれないというありさまでした。そこで思い切って本社を移転することにしました。条件は、環状線の内側、駅が近く交通の便が良い所でした。結果、現在の場所に新社屋を建設する事となり、平成10年7月に移転しました。私は大学卒業後三ツ星ベルトさんの東京支店に2年半務めたあと、当社の東京支店に入社し5年ほど営業を担当していました。そして平成24年8月、私が3代目社長として父からバトンを引き継ぎ現在に至っています。世間でいう回復基調とは裏腹にこの業界はまだまだその兆しを感じられないままですが、これからは大阪はもとより東京支店や名古屋営業所も伸ばしていきたいと考えています。

−愛善さんの社是・企業方針などお聞かせ下さい−
 祖父の善太郎は「働くことが人生だ」と書いた額を掲げていました。現在は社是と言えるかどうかはわかりませんが、テーマは”愛される善い商品の提供”です。社名の愛善商会はここからきていると思います、ただ“善”は祖父善太郎の一字をとったという説もありますが・・・。
またモットーはBETTER GOODS MORE QUICKLY BETTER SERVICE「良い品を、より早く、よりよいサービスで」です。
あらゆるマーケットに価値ある製品を提供し、品質の優秀さによって信頼性を得ることが、企業成長の鍵であると考えています。

−いま注力、或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせ下さい−
 コンベヤベルトを主に、伝動ベルト、エンジニアリングプラスチック、工業用ゴム製品などを取り扱っています。中でもコンベアベルトの在庫は業界トップレベルで、お客様のあらゆるニーズに対応できると自負しており、弊社の大きな強みと考えています。それらの商品をコンピュータオンラインによる商品管理システムと全国配送ネットワークで迅速にお届けしています。
もう一つ重要視しているのがベルト加工技術の継承です。自社加工センターを始め現場でのエンドレス加工はもちろん、600種類以上も保有している金型を使っての様々な形状の桟付加工も行っています。長年培ってきた経験や技術、製造ノウハウや製品管理ノウハウを次世代に確実に引き継いで行かねばならないと考えています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
 社員の平均年齢は40歳前後と、この業種では比較的若いのではないかと思います。社長の私が40歳ということもあり、社員同士うまくコミュニケーションがとれているように思います。社内ゴルフコンペや今では珍しくなった麻雀大会、それに一時中断していた社員旅行も近年は社員の希望もあり毎年実施するようになりました。社員が率先して企画・運営をしてくれます、これも社員の仲が良い表れだと思います。

−ご趣味をお聞かせ下さい−
父であり会長である善一郎は、仕事が趣味という人です。昔は大変厳しかったです、よく怒鳴られもしました。しかし孫が出来てからはマイルドになりました。今の趣味はゴルフのようです。私は中学時代には陸上部で走り高跳び(ハイジャンプ)に打ち込んでいました、地区大会で優勝したこともあるんですよ。ただ、今趣味といえるものはやはりゴルフです。千歳商事の糸井宏之さん、梶川商店の梶川潔さん、セイブプロセスの加藤昌平さんと世代は違いますが、「巳年会」というのに参加させてもらっており、そこでゴルフも楽しんでいます。長年趣味として続けていた「アクアリウム」(観賞魚・水草など水生生物の飼育設備)は、以前装置の故障で全滅させてしまってからは中断しています。小さな子供たちが水槽を叩いてしまうだろうと思い、今はあきらめています。子供たちが成長したらまた挑戦したいと考えています。
 



左(安堂寺町の旧本社) 右(当初の東大阪営業所)



愛善商会蠅気鵑鯔問して

今回は昭和初期の創業以来、今や搬送ベルトを扱う商社の代表格である愛善商会蠅気泙鯔問させて頂きました。森ノ宮駅から徒歩8分、近くに大型商業施設や高層住宅が共存している街並みをしばらく歩くと突然ハイセンスな建物(本社ビル)が目に飛び込んできます。以前、理事を務めて頂いていた会長と現在監事をお願いしている社長、お二人揃ってインタビューに応じて頂きました。会長は5年前の65歳の時に社長を退かれ現社長にバトンを渡されたとの事ですが、お二人から発せられる言葉の端々から今も良好なコンビネーションと深い信頼関係を感じました。
今後、益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2016/10/25 (85 ヒット)



株式会社 ダイニチポリマー

〒536-0022
大阪市城東区永田3−7−20
TEL 06−6963−2101
FAX 06−6963−2144
社長  森川元治


−ダイニチポリマーさんの歴史を教えてください−
 私の父、森川誠治が昭和50年6月に創業しました。父は昭和4年生まれで、軍国少年として育ち、終戦時は予科練生(海軍飛行予科練習生)だったと聞いています。戦後の混乱時期を乗り越え、戦後日本の復興の一翼を担ったのでしょう。長年勤めた呉羽ゴム工業(株)を46歳で円満退社し、一念発起、堺市の自宅で起業しました。父は、社名を「大日本・・・」としたかったのですが、余りにも大仰なのでダイニッポン+ポリマー=ダイニチポリマーと名づけたそうです。その当時は、呉羽ゴム工業の代理店として主として工業用ゴム製品、紡績用ラバーストリップそして合成樹脂製品を販売していました。私は、その時、高校生でした、事業が軌道に乗るまでは経済的にも決して楽ではなく、父がどこからか持って帰ってきた内職仕事で生計を立てておりました。そして、事務所が堺では商売上何かと不便ということで昭和52年に事務所を緑橋に移転しました。やがて私が大学に入ると、父が自動車免許を取得させてくれ、得意先への納品なども手伝うことになりました。お得意先へ納品に伺うと、時代ですね、私を椅子に座らせ諸先輩方が何やかやと可愛がってくれましたし、また業界のいろんな情報も自然と耳に入ってきました。今考えるとこれらも貴重な経験だったと思います。その後、業容拡大に伴い昭和55年12月に(株)ダイニチポリマーに改組し、そして昭和58年に現在の城東区永田に移転しました。大学を卒業した私は、父の勧めで京都の塩谷化成(株)に就職し、本社近くで寮住まいをしていました。ところが父の会社が忙しくなり人手が必要となったのでしょう、2年で呼び戻されました。そして、平成13年1月に42歳で社長を引き継ぎ現在に至っています。また、平成16年には、縁あって事務所の隣にあった元紳士服メーカーの社屋を購入し、現在に至っております。取扱商品の構成は、Oリング・成型品などのゴム部門が70%ぐらい。ジョイントシート部門が10%。樹脂が20%のバランスです。

−ダイニチポリマーさんの社是・企業方針などお聞かせ下さい−
 「世の中のお役に立ちたい」です。言い換えれば世の中に役に立たないことはしない。これに尽きます、私が決めた事業に対する信念です。 

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせください−
 工業用機械向けの「免震用ゴムによるライニング」です。某メーカーと共同研究を始めて3年目になります。現在は本作用の実験段階までこぎつけました。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
少人数で家庭的であるということに尽きます。ただ実の家族や親族は敢えて入れてきませんでした。後継者についても肉親への拘りは全くありません。

−ご趣味をお聞かせください−
 学生時代は、アウトドアのスポーツで楽しんでいました。その後魚釣り、それから派生して料理に凝ったりもしました。また、一時期写真にも凝りました。そしてそのあと、今に続く趣味となる音楽に出会います。東大阪市の枚岡に住んでいた頃、近くの枚岡神社の禰宜さんに誘われて「雅楽部」に参加したのがその始まりです。私は「篳篥(ひちりき)」を担当していました。結婚式などの応援で演奏する機会も多くあり、5年ほど続けたでしょうか、大安の日曜日に必ず駆り出されることと、雅楽の独特な因習に共感が持てなくなり辞めることにしました。今度は、竜笛(雅楽の横笛)の経験もあることからフルートに興味をもち、ヤマハのフルート教室に通うことになりました。それから約10年、今では定期的な演奏会をはじめ、機会を見つけては演奏しています。他に「国宝めぐり」も大好きです。現在、国宝に指定されているのは千件余りあるそうです。いずれ全国のすべての国宝を訪ね歩きたいと考えています。まるで遊び人のようですが、いろいろなタイプの方に話を合わせられるので、これはこれで有りだったのかなと納得しております。



(株)ダイニチポリマーさんを訪問して
 
 “世の中の役に立つことだけをやる”という森川社長の信念に感銘を受けると同時に、これそが今の世の中に本当に必要なことではないかとあらため感じさせられました。一方、スポーツ、料理、写真、音楽と、社長の旺盛な好奇心からかその幅広い趣味にも驚かされました。今後、益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2016/07/20 (331 ヒット)

(左 ご子息  右 中井社長)

中井ゴム工業株式会社

〒600−8028
京都市下京区寺町通松原下ル
TEL 075-341-3381
FAX 075-341-0845
社 長 中井 茂

−中井ゴムさんの歴史を教えて下さい−
 創業者は私の父中井善七です。滋賀県出身で大正6年生まれです。当時京都にあった藤川ゴムで働いていたと聞いています。軍隊には入隊せず、終戦まじかの昭和19年に28歳で中井ゴム商会を創業しました。創業地は中京区河原町です。昭和26年に株式会社に改組し翌昭和27年に現在地である下京区寺町に移転しました。お酒が好きで、酔うと説教好きな父親でした。戦後は物資のない時代でしたが、旧軍の放出品や何やかんやで商売は大繁盛だったと聞いています。特にリヤカーや自転車のタイヤは、あればすぐ売れる時代だったようです。
 

創業時


幼き日の中井社長
               
戦後の復興から朝鮮特需、そして高度成長の波のなか順調に事業を伸ばしました。私はというと、京都で生まれ、京都の大学を卒業し、そのあと縁あって一時、老舗の陶器卸「たち吉」に勤めました。百貨店まわりの営業を担当し、それなりに楽しく仕事をしていたのですが、その頃、永く務めていた番頭さんが辞めるなどの事情もあり一年後父親に呼び戻されました。そして昭和50年、父親から社長を引き継ぎました。昭和47年の第1次石油危機、昭和54年の第2次石油危機、平成に入ってのバブル崩壊やリーマンショックなどなど、経済の荒波にも見舞われましたが、京都という市場の特殊性もありさほど影響を受けることなく、本業一筋に地道に事業を継続してきました。そして平成18年父善七が92歳で亡くなりましたが、その後、息子も会社に入り頑張ってくれています。

−中井ゴムさんの社是、企業方針などお聞かせください−
 文字にしたものはありません。父親が滋賀の出身だったからでしょうか、「買い手よし、売り手よし、世間よし」といわれる近江商人の活動理念である「三方よし」を大事にしていました。企業の社会的責任(CSR)が強く叫ばれる昨今、企業の間でも近江商人のこの言葉が再注目されています。 また、「適材・適所」やよりわかりやすい「誠実・勤勉・忍耐」などもよく聞かされたものです。 

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせください−
 家業をしっかり守っていきます。京都人の特徴でしょうか、京都という小さな町のせいでしょうか、ガツガツと商売を伸ばすことより、協調を大事にしていこうと考えています。その時代に合ったもの、お客様に満足していただけるもの、小ロットでも丁寧に商売をしようと思っています。同業他社さんにくらべても、ゴムの扱いが突出して多いですね。9割がゴム製品で、1割がプラスチック製品です。ゴム製品の金型はかなりの数をお預かりしています。もちろんお客様の要求に最適な付加価値の高いゴム製品です。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
 家族経営です。8人中6人が家族なんです。だから辞めようにも、辞めれません。平成19年に息子が会社に入ってくれました。京都のソフトウエアメーカーに7年勤めていました。ユーザーとのやり取り、材質・物性などのデータ提出などにも得意のパソコン等を駆使し、大変役立ってくれています。ゴム商組主催の勉強会にも参加させてもらっていますよ。親が言うのもなんですが、まじめで勉強熱心な息子です。

−ご趣味をお聞かせください−
 ゴルフはしますが、趣味といえるかどうかな〜。自分から進んでエントリーなどはしないですから。カメラはすきです。写真撮影ではなく、カメラそのものです。クラシックなカメラを中心にかなりの台数があります。家内と「街歩き」もします。京都の町を自分の庭がわりに散歩しています。これだけ散歩しても、まだまだ知らない、行ったことがない寺や神社などがたくさんあります。世界文化遺産である京都に住んでいる恩恵にあずかっています。


中井ゴム工業(株)さんを訪問して
 
 今回は京都の中井ゴム工業蠅気鵑鯔問させて頂きました。四条河原町から歩いて10分弱の鴨川にほど近い京都風情が漂う街の一角に事務所はありました。一部資材スペースも兼ねた事務所は決して広くはないものの、その佇まいからは先代より半世紀以上に亘り受け継がれてきた歴史を感じました。いつもの温厚な面持ちでインタビューに応じて頂いた中にも、頑固なまでに本業一筋、ゴム一筋、またお客さま満足を最優先に事業を継続されてきたその信念は古都京都と合い通ずるものがあるように感じました。今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2016/06/29 (340 ヒット)



株式会社モリテック

〒552-0012
大阪市港区市岡2-1-7
TEL 06-6573-5683
FAX 06-6574-5886
社 長 森 孝裕

―モリテックさんの歴史を教えて下さい―

創業者は私の父森 博です。昭和36年3月、24歳の時に一人で創業したと聞いています。ゴムの加工技術を学び、中でもロクロによる加工を得意にしていたようです。5年後株式会社に改組し「株式会社森ゴムパッキング製作所」と社名変更しました。昭和49年には、東京進出を果たし、その後昭和52年に名古屋営業所開設、昭和57年に大阪第2工場、昭和60年に大阪第3工場を新設し事業は順調に拡大していきました。
しかし、昭和62年父が50歳の若さで他界してしまいます。もともと、頑強な体ではなく、お酒が好きだったのも影響したかもしれません。急遽、私 森 孝裕が若干27歳で二代目を継ぐことになりました。大学卒業後お世話になっていたタイガースポリマー(株)さんから父の会社に戻って3年目のことでした。カリスマ経営者の父親から突然のバトンタッチに戸惑いながら、タイガースポリマー(株)の故澤田博行様をはじめいろいろな方の助言・ご指導を頂きながら頑張ってまいりました。
会社の諸規則の整備や諸制度の改革を行い、一方で新技術、生産性向上のための研究センターも設立しました。平成4年には、CIを導入し“新たなる創造への挑戦”のため、社名を「株式会社モリテック」と改称しました。平成7年に名古屋工場開設。平成10年に物流システム効率化に向け倉庫を新設。その後、リーマンショックによる厳しい経験も経て、昨年1月には品質管理専用社屋竣工に伴い検査設備の拡充を図りました。
そして今年2月、名古屋支店・新工場を名古屋市天白区に拡大移設し設備も増強しました。また4月には、東京工場を従来の2倍に拡張します。これらにより品質の向上、短納期化など顧客満足度を高め、作業環境の改善で社員満足を高め、生産拠点の分割でBCP対応にも十分寄与する体制が構築できると考えています。見方を変えればこれらはすべて根本の目標である「顧客満足度をさらに高める」という点に集約されると思います。
一方、グローバル化の足掛かりとして小規模ながら12年前にアメリカのシカゴに進出しました。ベンチャーとして苦戦の連続でした。リサーチにかなりの年月を要しましたが、ここ数年やっと採算がとれるようになりました。これを地道に継続し拡大していこうと考えています。

―モリテックさんの社是、企業方針などお聞かせください―

「理念」
モリテックは社員(家族)・顧客・仕入れ先・業界・地域の全ての人に満足を与えられる企業であり続ける、です。
「目指すところ」
目指すところは常にニッチトップ
目の前の業績よりも常に100年継続させるための方法を考える、です。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることについてお聞かせください―

製造の関連ではQCDの向上を常に行っていく、そのためには人材育成に注力しています。従来から実施しているコンサルによる各種専門的な研修に加え、従業員の自主性やリーダーシップを養うための社員による自主学習会を数年前から行っています。月2回ぐらいのペースで終業後にも拘らず参加者も増加しているようです。一方、製造技術の伝承についてはOJTを基本とした新しいシステムも検討しています。
また販売の側面では販売促進支援のアイデアの提供ための「販売支援グッズ」の開発にもこれからもどんどん新しいアイデアを出したり、逆にお客様からアイデアを頂いたりして積極的に進めていきたいと考えています。

―会社自慢、社員自慢をして下さい―
   
お客様の要望に応えられるあらゆる材料を持っている事。そして短納期で複雑な加工を正確に行う事ができる。社員の平均年齢は35歳と若く、ベテラン、とのバランスがとれていることでしょうか。また定着率も高いです。社内のクラブ活動は大阪がソフトボール部、東京は野球部があります。
大阪は甲子園経験者なんかもいてなかなか強いチームです。

―ご趣味をお聞かせください―

以前はバンドでドラムを叩いたり、健康目的でキックボクシングをかじったりもしましたが、種々の事情で今はしていません。
一方、趣味とは言えないですが以前から実益をかねて、毎日七時半からネットでネイティブとの英会話レッスンを行っています。その成果の程はまだまだですが旅行での英会話には少しは役に立っているかもしれません。また、これも趣味とは言えませんが異業種の方も含めいろんな人達との交流も好きです。いろいろと学ぶことも多いですし、何と言っても楽しいです。その他に食べたり飲んだりも大好きです。


(株)モリテックさんを訪問して
現在副理事長を務めて頂いており、また総務委員長としていつもお世話になっている森社長を訪問ということで緊張感の中にも親近感を感じつつのインタビューとなりました。
20代後半の若さで社長を継がれ様々な試練を乗り越え今日の規模と技術力を培われてきたその実績、更には100年先を見通さんとする経営センスに森社長の自信と意欲を垣間見た感じがしました。今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2015/11/27 (450 ヒット)



株式会社 清水商会


 〒530-0035
 大阪市北区同心1−8−22
 TEL 06-6358-2851
 FAX 06-6358-6119










 社 長 清水 俊文

―清水商会さんの歴史を教えて下さい―

創業者は私の義父清水数雄です。明治44年岐阜県大垣市近くの神戸(ごうど)町で生まれ、大正15年に上阪して繊維関係の会社に入りました。そこで商売を学び、昭和13年2月1日に繊維関係を扱う商社として清水商店を独立開業しました。しかし昭和16年12月に戦争に召集され一時閉業を余儀なくされました。戦後、復員し、暫く六甲製機蠅剖个瓠△修海妊乾犂愀犬涼亮韻鮟得しました。そして昭和24年に独立し、北区曽根崎1丁目で創業、昭和28年5月に株式会社清水商会を設立しました。その後、東京・名古屋にも営業所を設け事業を拡大し、昭和37年1月に現在の本社のある同心町に移転しました。私と先代数雄さんとのつながりは昭和54年に遡ります。当時、私は大学を卒業し銀行に勤めていたのですが、縁あって数雄の長女と結婚することになりました、そして昭和57年に三菱銀行を退職し清水商会に入社、平成3年2月先代から社長を引き継ぎ、はや25年が経ちました。当社は設立当初から東海ゴム(現 住友理工)の代理店として主にホース及びその関連商品を扱っています。用途にあわせゴム・樹脂・ステンレスと各種揃えています。なかでも船舶用のホース・金具類が取扱高のかなりの部分を占めており、これら一式を扱う商社としては全国でも数少ない会社のようです。因みに社章は先代が考案した「順風」(フォローウインド)です、風を満帆にうけ大海原を疾走する姿をモチーフにしています。今見てもおしゃれで、先代に感謝です。

―清水商会さんの社是、企業方針などお聞かせください―

創業以来、社是のようなものはありません。少人数の会社ですし先代も改まって社是などをつくらなかったようです。「自分で考え、自分で行動する」をモットーにしています。自分で試行錯誤することが肝要だと考えます。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えられている商品、または分野についてお聞かせください―

「静脈産業」に注目しています。資源を掘り出し、輸入し、加工し、製品化し、物流網に載せて消費者に渡る一連の産業を「動脈産業」と言い、使い終わった製品を回収し、再利用し、再生し、あるいは廃棄することに関わる産業のことを「静脈産業」といいます。昔は古タイヤを燃料として利用したりしていましたが、今は高度な技術を使った再利用の方法も開発されつつあります。今後、我が社も販売してきたホース及び金具の産廃処理や廃液処理産業に、より注力していきたいと考えています。

―会社自慢、社員自慢をして下さい―

会社自慢と言えるかどうか、我が社は残業ゼロです。これは先代の時代からずっとそうです。我が社は規模の割にはお客様の数が多いのが特徴です。オペレーターは親会社でも船は個人という、いわゆる一社一杯という船主が多いためです。そこで使われているホースなどは、何年かに一度の更新が一般的です。いかに記録を整理し適宜にお客様の要求に応えられるかが鍵となりますが、それらをスムーズにそつなくこなせるベテラン社員が我社の自慢です。

―ご趣味をお聞かせください―

愛犬歴30年です。家内も私も犬が好きです。今飼っているのは8歳のオスで名前は雄之介です。ドライブ好きで週末になると車で出かけます。この子はペットショップで買った犬ではなく、能勢の捨て犬センターから里犬として我が家にきました。飼い主の勝手で捨てられた可哀そうな犬が一杯いるのです、心が痛みます。二番目の趣味はゴルフのスイング研究です。特にドライバー飛距離にはこだわっています。ただ研究が実践に活かされないのが悩みではありますが、しかし当れば飛びます。つぎは知る人ぞ知る「版画」製作です。私自身の出身は熊本県で、父は学校の教師をしていました。数学の教師でしたが、よく絵を描いており、何度か日展に入賞もしていました。私が版画を始めたのもその影響ではないでしょか。ただ多色刷りの版画は時間と体力がいるので摺るのは限定部数です。仲のいい友達限定で毎年「干支」の多色刷りの年賀状を送っています。



株式会社清水商会さんを訪ねて

暑さの峠も超えた8月末に訪問させていただきました。すぐ近くにOMPや帝国ホテルがそびえ立つものの、大阪市内にあって比較的落ち着いた雰囲気の街並みの一角に(株)清水商会さんは本社を構えています。4階の応接間に案内され、清水社長にはいつものように気負わず、自然体でインタビューに答えていただきました。少人数精鋭で仕事に取り組んでおられる苦労話や先代との思い出話、出身地に纏わる貴重なお話もお聞かせいただきました。社長の新たな一面を知ることができ有意義な時間を過ごすことができました。
お忙しいなかでのご対応まことにありがとございました。
今後の益々のご発展を祈念しております。         (事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2015/11/10 (467 ヒット)



 岡安ゴム株式会社

 〒578-0957
 大阪府東大阪市本庄中2-2-30
 TEL 06-6747-7891
 FAX 06-6747-7888





 社 長 岡 浩史

―岡安ゴムさんの歴史を教えて下さい―

先々代の岡安一が昭和11年に個人にて創業しました。当時は、家業であった呉服商を中心に営んでいたとの事です。その後、親戚のゴムホースの商いを手伝ったのがきっかけでゴム製品を扱うようになり、昭和22年に蟆安商店を設立しました。父の岡茂樹が電気メーカーにゴム製品を納めるようになり、昭和32年に商社という枠に止まらず製造も視野に入れ、社名を現在の岡安ゴム株式会社に変更しました。本格的に物づくりをスタートしたのは、昭和38年福岡県に九州岡安ゴム蠅鮴瀘してからです。その後順次資本金を増資しつつ、昭和45年に滋賀県草津工場を竣工させました。これを機に、ゴム製品の専門商社から製品の開発、製造に軸足を移していきました。さらに、平成6年、家電メーカーの海外進出に伴いマレーシアにオカヤスラバーマレーシアを設立し、36歳の岡浩史が初代社長に就任しました。苦心の末やっと軌道に乗ったころアジア通貨危機に巻き込まれ、自社工場の建設が大幅に遅れてしまい赴任期間が当初予定の5年が8年に延びてしまいました。そして平成14年に帰国し三代目岡安ゴムの社長に就任しました。就任後、福岡と草津の工場を集約し、新たに約4500坪の敷地に5台のゴム連続押出加硫ラインと24台の自動成型のラバーインジェクションラインを稼働させ、ゴム部品の本格的な開発・製造業者としての経営基盤を築きました。現在では完全自動化ラインによる夜間無人操業を行うなど、労働環境にも配慮を怠ることなく、高い品質を維持しつつ、コストダウン、生産性の更なる向上に取り組んでいます。

―岡安ゴムさんの社是、企業方針などお聞かせください―

社是は「一.ユーザーのニーズに応える 一.誠実を旨とし、和をもって社業発展に尽力する」です。方針は、1.ユーザーの開発プレーンとして「高機能を提供する」  2.ユーザーからの信頼に応えて「高品質を提供する」3.ゴム・樹脂の総合サプライヤーとして「高度供給力を提供する」  4.一人ひとりが開発者として「高度技術者集団をめざす」です。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えられている商品、または分野についてお聞かせください―

当社は新しい素材の開発技術、金型や設備の自社開発・設計する技術、ものづくりの基礎である高度な品質管理技術。言い換えれば「素材力」「合理化力」「品質力」この3つを追求しています。そしてその総合力で誕生したのが、自社ブランド品のスポンジシート「タフロング」です。これまでのスポンジ状シートの製造方法はブロック状のスポンジを薄くカットして製造するのが一般的ですが、この方法だと短尺の物しか作れません。そこで当社は独自に連続押出加硫成形の技術を進化させ、既存設備を改良し、試行錯誤の末、今までにはない幅広且つ長尺のスポンジシート(タフロング)を作る技術の開発に成功しました。これは企業向けの部材・部品などの工業用資材としてだけでなく、広範な用途に使用できる商品として注目されています。そして「タフロング」に続く新商品として平成27年4月から「ふく楽マット」を楽天・Amazonで販売しています。カラフル・汚れても拭くだけ・滑らず・断熱性が高く・自由にカット可能、など斬新なキッチンマットとして、次男をリーダーにプロジェクトを組み、今までのBtoBの受注生産の仕事ではなく、ネット販売を利用したBtoCへと新たにチャレンジしています。

―会社自慢、社員自慢をして下さい―

「配合」「混合工程」「圧延」「成形」「加硫」といったすべての工程を社内で一貫して行っていること我が社の強みです。また他社に先駆けてISO 9001、ISO 14001を取得しました。それも押し付けではなく、積極的に利用することで平均年齢32歳の若い社員達が自ら考え、それを実行し、成果をチェックするシステムを定着させました。合理的な経営を目指す大きな力となっています。次世代を担う二人の息子も自慢です。二人とも子供時代マレーシアで育ったこともあり英語は堪能ですのでグローバル展開を進めるうえでも心強く思っています。現在、長男はオカヤスラバーマレーシアの責任者として、次男は国内で戦略商品の企画・開発等を担当しています。これからどれだけ成長するのか楽しみです。

―ご趣味をお聞かせください―

中学、高校時代はバスケット、大学時代は社交ダンス。その後は仕事上の必要性もありゴルフに熱中しました、今もゴルフ一筋です。ただ最近は自宅マンションのベランダでバラづくりなどの園芸を楽しんだりもしています。

岡安ゴム株式会社さんを訪ねて
今回は、先代が昭和から平成に掛け10年間に亘り副理事長を務められ、現社長も副理事長として活動して頂いている岡安ゴム株式会社さんを訪問しました。大阪市内から高速を乗り継ぎ草津の工業団地内にある草津事業所に到着。田園と里山に囲まれた環境の良さに感激しつつ、インタビューを通じ独自技術によるオンリーワン製品供給への岡社長の熱い思いに触れた後、工場内を案内して頂き、今度はその広さと清潔な労働環境にも驚かされました。お忙しいなか、ご対応有難うございました。
今後益々のご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2015/05/11 (594 ヒット)


 西部ゴム株式会社


 〒530-0055
 大阪市北区野崎町6−13

 TEL 06-6311-5571
 FAX 06-6312-8361


 会 長 加藤 公三氏(左)  社 長 加藤 廣氏(右)



―西部ゴムさんの歴史を教えて下さい―

創業者である加藤一男(現社長の祖父)が昭和22年7月に設立した寿ゴム産業蠅西部ゴム蠅慮凝世任后0戝砲論鐐亜栗山護謨蠅剖个瓩討り、会社が朝鮮出張所を開設する時に駐在員として朝鮮に渡りました。本人は終戦と同時に帰国しますが、栗山芳雄社長は囚われ、シベリア抑留の身となります。一男は仲間と共に栗山護謨の存続に尽力し、栗山さんが帰国後に独立、東区今橋に寿ゴム産業蠅鮴瀘しました。22年11月に西部ゴム蠅房厂召鯤儿垢掘■横看3月には旭区赤川町1丁目に移転しました。当時の販売の中心は、自転車・タイヤ・チューブなどでした。そして戦後の混乱期の整理と共に昭和29年11月に現在地に本社を移転しました。西部ゴムという社名は関西より西を商圏にしようという創業者の思いから決まったのだと思います。一男が69才で亡くなり、昭和51年に現会長(加藤公三氏)が社長を引き継ぎました。販売店網の拡大・充実を図り、平成17年に新しい世代に未来を託し会長に退いた後、現社長(加藤廣氏)のもと現代的な経営手法も取り入れつベルト・ホースを中心とした工業用ゴム製品、合成樹脂素材及び加工品などあらゆるニーズに対応する卸専門商社として独自路線を崩さず、更なる飛躍をめざし邁進しています。

―西部ゴムさんの社是、企業方針などお聞かせください―

社是は「正しい奉仕と優秀製品をもって卸商社の使命達成に邁進する」です。これは創業者の加藤一男が決めたものです。商社の重要性、使命を認識すると共に、当社の原点として、また卸専門商社として社会貢献していくという指針として、今後も大切に受継いでいきたいと考えています。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えられている商品、または分野についてお聞かせください―

当社はユーザー相手の商売でなく卸商売です。ニーズに応えるべく万全且つスピーディな出荷体制を確立し顧客の要望にお応えすることが重要と考えています。「売り物」と同じくらい「売り方」も重視しています。いずれにしてもお客様に喜んでもらえることが卸売業としての当社の使命と考えています。また販売先のお客様が今後どのような品物を必要とされているかといった情報も大切ですので、ゴム業界だけでなく他の業界にも機会あるごとに顔を出して情報収集に努めています。一方、昨今話題となっているネット販売については間接的に影響を受けているのは事実ですが、現時点ではまだ参入は考えていません。ただ今後の流通形態の変化によっては検討する時期が来るかも知れないとは思っています。

―会社自慢、社員自慢をして下さい―

会社自慢と言えるかどうか、二年に一度各地に点在している営業所(ベイス)の全社員が一同に会し、全額会社負担で研修旅行を実施しています。以前は同様なことを行っている会社も多かったですが、今では少なくなっているようです。ふだん各地に分散して仕事をしている仲間同士の連帯意識を高める良い機会と捉えています。他に会社自慢としては、大手優良企業が軒を連ねている北区で継続して優良申告法人表敬状をいただいていることでしょうか。

―ご趣味をお聞かせください―

会長:趣味といえば海外旅行ですね、年に2回ぐらい出かけます、仕事も含めれば今まで相当あちこちに行きました。プライベイトでは一人で行くことも多く、旅での思わぬ出会いなんかもあり、いろいろ楽しい思い出があります。ただ来年80才になるのでそろそろ卒業しようかと考えています。旅行以外では仕事で必要なこともありゴルフを30歳くらいから真剣に取り組みました、今でも好きで、組合のみなさんともよくご一緒させて頂いているのはご存じのとおりです。
社長:会長と同じくゴルフもしますが、趣味と言えばこれも会長と同じになりますが旅行です、家族と一緒に行きます。特に美味しいものを求めてあちこちに出かけるのも大きな楽しみの一つです。学生時代は旅行研究会に入っていたこともあり旅行社などは使わず飛行機もホテルも全部自分で手配します、全く苦になりませんしツアー旅行では味わえない旅の楽しさがあります。

西部ゴム株式会社さんを訪ねて


今回から、かつて組合の要職を歴任された方の会社を訪問させていただくことになり、初回は西部ゴム蠅気鵑鯔問しました。会長と社長揃って迎えて頂き、創業者の会社設立当時の興味深い話や、ゴムベルト商業会役員時代の貴重な話、後を引継いだ会長も現組合発足当時から理事をされ、その後副理事長・理事長を歴任され組合活動に尽力された事など、事務局としても勉強になる時間を過ごさせて頂くことが出来ました。また会長、社長ともども衒いのない自然体でのインタビュー対応誠にありがとうございました。今後益々のご発展を祈念しております。

(事務局  三島通弘)


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