投稿者 : admin 投稿日時: 2018/06/13 (94 ヒット)



コーキマテリアル株式会社
〒550−0013
大阪市西区新町4丁目10番31号
TEL 06-6531-2401
FAX 06-6535-1469
社長 犬伏博明

−コーキマテリアルさんの歴史を教えてください−
私の祖父の犬伏義勝が大阪の老舗のゴム屋さんでの修業のあと、祖父の叔父が大正12年に西区江の子島で起こした工機ゴム洋行に勤めたことが始まりです、主として工業用ゴム製品を取り扱っていたと聞いています。そこで営業部長として頑張っていたのですが、昭和12年戦争応召のため閉鎖、昭和20年3月戦災で新町の事務所は消滅しました。戦災で何一つない丸裸の状態のなか復員してきた祖父義勝がその頃家族が縁あって身を寄せていた枚方の大阪府立種畜場で働くことになり祖父は乳牛の乳しぼり、父国明は農場に入って家畜の餌作りと本当に苦労したようです。いつまでもこの様な状態ではと一念発起し、昭和23年11月建売住宅を取得し工機ゴム営業所として復興創業し現在に至っております。当時は皆さんそうだったようですが、その頃父も100キロ近いゴム板を自転車に積んで配達したり、谷町の坂道を太いサクションホースを背中にもたれさせて配達したりと今では冗談のように聞こえる話ですが、猪突猛進脇目もふら
ず社業に専念したときいています。昭和30年法人組織に改め、その後幾多の試練を乗り越え、平成4年現在の西区新町4丁目に移転しました。
私は、35年前の昭和58年大学を卒業し、社業への思いもありタイガースポリマーさんに入社しました。東京支店の営業部に配属となり、同期入社の方たちと数年間寮生活をしました。ゴムの知識はもとより、社会人として、また営業マンとしての基礎を学ぶことができ貴重な経験となりました。その後、昭和60年に父の会社に入り水道関係や消防関係を主に営業に奔走しました。そんな中、平成13年先代社長である私の父国明が亡くなり、事業を引き継ぐことになりました。翌年、社名をコーキマテリアル株式会社に変更し現在に至っています。

−コーキマテリアルさんの社是、企業方針などお聞かせください−
座右の銘は易経の「積善余慶」です。意味は、善いことを重ねた家は、その報いとして幸せが子孫にまで及ぶということです。
コーキマテリアルとは
○工は工夫
○機は機械・好機 つまり、チャンスを掴んで
○マテリアルは重要なもの、大切なもの、素材という意味です

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください−
我が社は、戦前より工業用特殊ゴム板、消防用ホース、酒造用ホース、成形品、加工品をはじめ、健康で豊かな暮らしを支える水道事業関連の各種ゴム輪、各種バルブ用ゴム製品、水道メーター、止水栓用パッキングを主事業としてまいりました。一方で以前より某メーカー向けにセンサー機器用のゴム製部品も納入しているのですが今後更に需要増が見込める分野だと期待しています。また、永年にわたる実績に加え、グリス無しでシール性を確保しながら摩耗しにくい表面滑性のあるゴム(表面改質)などの最新技術を製品化もしています。シリコン、ガラス、フッ素の表面改質技術とその製品化に傾注しています。一方、ゴムの特性を生かした健康用具の開発・販売にも注力しています。遠赤外線ゴムで癒し効果のある指圧器具の「ラブラックス」をはじめ、指や手のひらの末梢神経を刺激しながら、身体全体のリンパの流れを促すことで日常のストレスや疲れを軽減する「フットケア・リンパドレナージュ」の用具として「爪もみシリーズ」を製品化しました。「健康で豊かな生活」「積善余慶」の実践として医療従事者と協力してこれらの器具・用具の開発・販売・普及活動をしています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
とにかく笑いの絶えない職場です。一芸・多芸の社員ばかりです。外から見ると、いつもニコニコした社員ばかりで気味悪いかもしれません。一方、仕事面では社員全員がどの分野もこなすことができるというのが当社の自慢です。学校卒業後しばらく他社に勤めていた長男も今は専務として頑張ってくれています、心強く思っています。
−ご趣味をお聞かせください−

食べ歩き、飲み歩きです。とにかく美味しいものには目がありません、美味しい店があると聞けばどこへでも出かけていきます。一方「体全体を使っての正しい歩き方」を実践するノルディックウオーキングを10年前に始め、数年前にインストラクターの資格を取得しました。毎週火曜日大阪城脇のクリスタルタワーに集合して早朝から1時間ウオーキングしています。興味のある方は、お問い合わせください。

コーキマテリアル(株)さんを訪問して
事務所に入ってびっくり、ところ狭しと健康器具らしきものがびっしりと並べられていました。本業の工業用ゴム製品とは別に、ゴムの特性を利用して人々を健康にしたいとの社長の思いの強さに驚かされました。本業の拡充に意欲を燃やす反面、健康用具の開発・販売に努力を惜しまないユニークな経営、何よりその持ち前のマシンガントークに圧倒された1時間半となりました。
今後益々のご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2017/11/07 (269 ヒット)



亀喜工業株式会社
〒650−0046
神戸市中央区港島中町2丁目2番1
TEL 078−302−2619
FAX 078−302−8316
社長 長澤 昭二

−亀喜工業さんの歴史を教えてください−
 創業者は私の義父である長澤省吾です。平成13年に72歳で亡くなりましたが、業界ではかなり有名な「猛者(もさ)」だった人です。昭和4年兵庫県三田で生まれ、16歳で太平洋戦争の終戦を迎えました。現在の兵庫県立有馬高校(前身は創立120年の伝統校である兵庫県立三田農林学校)を卒業した後、私の妻の(母方の)祖父が起こした田川工業に丁稚奉公にはいりました、それがこの業界に入った始まりです。
やがて昭和28年、26歳で独立し、神戸市兵庫区(現中央市場内)で長澤商店を個人創業したとのことです。強引で強気だが、商売感はするどかったのでしょう。厳しい戦後の復興を乗り越え、昭和30年代の高度経済成長の波にも乗り、商売を順調に伸ばしていきました、そして昭和44年には亀喜工業株式会社に改組しました。営業所も京都、滋賀、神奈川と順次開設し、昭和55年には現在のポートアイランド内に本社ビルの建設と同時に移転しました。
私は、昭和57年に亀喜工業に入社しました。学生時代からお付き合いをしていた女性がたまたま創業者である省吾の長女だったのです。大学を卒業して、繊維輸出の貿易会社に勤めていたのですが、義父の要望もあり結婚を機にこちらに入社しました。それから「猛者」の義父の元で厳しい試練が始まりました。義父との確執はすさまじいものでした。会社を辞めようかと何度か悩んだこともありました。ただ一方で義父からはいろんな事を学びました、そしてその苦しかった時代が私自身の人間力を養ってくれたのだと思っています。その義父が平成13年に亡くなり、同年私が二代目社長を引き継ぐことになりました。

−亀喜工業さんの社是、企業方針などお聞かせください−
社是は「初心不可忘」(初心忘るべからず)です。一方、最近心がけている事は
1.エンジニアリング部門の強化、
2.全国に広がる営業網を強化しこれまでの在庫能力と合わせた、他社に真似のできない物流体制の確立
3.亀喜マンひとりひとりのスキルアップです。
扱う商材に差別化するものが少なくなっています。亀喜工業は人の差別化を目指しています。私が考える差別化とは、商品知識は当然の事として、いわゆる「すなおで、あかるく、元気よく」人に好かれる人になることです。人として、社会人としてそれが一番大切だと考えています。そのために年に4回研修を行っています。社内研修ですが、新入社員研修、若手社員研修、中堅幹部研修A、中堅社員研修Bの4回です。各回20〜30人を集め、まず金曜日夜に懇親会をし、翌土曜日9時から15時半ぐらいまでみっちり研修をします。
社長になって15年間ずっと私が講師を務めてきましたが、最近、長年大手企業に在籍し、いろんな研修業務に長けた人材が入社したこともあり、今では研修プログラムもかなり充実したものになってきました。今年も更にブラシュアップした研修にしていこうと準備を進めています。ありきたりな教育でなく、亀喜工業社員向けのオリジナルな教育を心掛けています。

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください−
商社ですから新規開拓は常に目指しています。ありきたりの商材では話しを聞いてもらえません。今は省エネ、環境対応が突破口になるのではないでしょうか。ネットショップでは対応ができない物件工事にも注力しています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
亀喜工業の社員はすなおで、あかるく、元気です。社員はほとんど中途採用です。一時新卒を採用したこともありましたが、我々の規模では新卒は難しいです。それよりも、社会人を4〜5年経験したあたりがいいようです。

−ご趣味をお聞かせください−
大学時代はスキー部でした。種目はアルペンでした。いまはもうしていません。現在の趣味は麻雀とゴルフです。私は、博才はあまりありません。私見ですが、博才がありすぎるのは身を持ち崩します。もちろん社長には不向きです。卓を囲んでの心理ゲームは楽しいものです。


亀喜工業蠅気鵑鯔問して
今回は亀喜工業蠅気鵑鯔問しました。山と海の街神戸三宮からポートライナーに乗って約20分北埠頭駅に程近いところに本社があります。昨年5月より理事を務めてい頂いている長澤社長ですがゆっくりとお話しをお聞きするのは今回が初めでした。先代社長のもとでの苦労話、理想とする社員像、そして今後の会社の目標など、社長の思いをお聞きしていくなかで、普段の佇まいとはまた違った一面をうかがえ、印象を新たにしたインタビューとなりました。
今後、益々のご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2017/08/23 (528 ヒット)



前川化学工業株式会社
〒612-8473
京都市伏見区下鳥羽広長町172番地
TEL 075−603−3125
FAX 075−603−2640
社長  前川 恭徳


−前川化学工業さんの歴史を教えてください−
私の父、前川啓二が昭和40年1月に啓享ゴム工業所として個人創業を開始したのが始まりです。父は福井県の高校を卒業し、大阪の岡安ゴム株式会社に丁稚奉公し、その後、のれん分けという形で京都の地で独立したと聞いています。岡安ゴムさんの先代の茂樹様には、社長と社員という関係以上にかわいがって頂いたと聞いています。
昭和46年には、京都ゴム成型工場の新設、昭和51年7月には社名を前川化学工業(株)としました。昭和55年に本社事務所をここ伏見に新築し、さらに昭和56年に京都樹脂加工場新設、昭和59年には宇治工場新設と業容の拡大を果たすことができました。中でも宇治工場は当時取引をさせて頂いていた京都の星和電機(株)様から、部品納入だけでなく組立てもしてくれないかとの申し入れがあり、その要望にそった形で新設することになりました。星和電機さんは国産初の防水・耐酸形蛍光灯器具や安全防爆形蛍光灯を開発された産業用特殊照明機材・産業用情報表示システムのトップメーカーです。道路の電光掲示板やトンネル内の照明器具、また石油プラントや化学工場などの特殊な、且つ厳しい環境下での使用を前提とした製品で、それらに関するゴム・樹脂の部品を製作することで、わが社の 技術も飛躍的に向上し成長することができたと感謝しております。平成18年創業40周年の翌年、父啓二が体調を崩したのを機に、37歳で私が社業を引き継ぐことになりました。父は技術肌で仕事が趣味という人でした。盆も正月もなく朝から晩まで仕事のことしか頭になかった人です、当然、仕事にも社員にも大変厳しい人でした。

−前川化学工業さんの社是・企業方針などお聞かせ下さい−

経営理念は
・社会の繁栄と発展
・会社の繁栄と発展
・社員の繁栄と発展
この理念は父 啓二からのものです

会社方針は
・目標に向かって創意工夫、努力、行動で進め。
・使用する人の身になって商品を作ろう。
・商品に自信と信頼をもて。
・発想の変化を求め、先手先手と新しい考えで取り組もう。
・仕事に無理、無駄は無いか。

毎年、社長方針として、中期社長方針、中期スローガン、年度スローガン、品質方針を示しています。

−いま注力、或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせ下さい−

 現在は、ゴム成形(京都工場)、プラスチック成形(伏見工場)、加工部門(宇治工場)が収益の三本柱となっています。ゴムとプラスチックの両方を取り扱っている企業は数少ないようです。ゴムに関しては、練りからの一貫生産体制をとっているのは京都でも少ないですし、特殊配合ができるのは京都では唯一当社だけと自負しています。プラスチックに関しては、照明関連に加え、レントゲンの持ち手や手術のジョイスティックの持ち手など医療品分野にも注力しています。スーパーエンプラにも取り組んでいきます。加工設備の充実を進め、さらに伸ばしていきたい分野と考えています。産・官・学の京都グリーンネットワークに参加し最新の知識・技術も積極的に取り組もうとも考えています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−

社長の私が47歳。社員の平均年齢も30代と若いです。そしてパートさんも含め従業員自らが改善提案を出し、目標と期間を決めて実行するといった改善活動に積極的に取り組んでくれています。

一方、新素材を使った試作にも意欲的に取り組み、条件出しから考えていくような案件であっても対応できるようになりました。特に技術部というのはありませんが、全員がセールスエンジニアとして提案営業に取り組んでいます。もう一つ自慢と言えば、ここ本社・伏見工場にクリーンルームを設置しました。本格稼働は今年の5月からですが、クラス1000と10000の2部屋です。半導体の製造過程で使われる洗浄装置の部品を納入するに当たり顧客の要望に対応したものです。

−ご趣味をお聞かせ下さい−

 無趣味だった父の血をひいて、私にも趣味らしい趣味がありません。20代後半にゴルフを始めましたが、年に数回という程度で趣味といえるレベルではありません、また来年ぐらいからは少し力を入れたいとは思っていますが・・・。他に、ベランダでプランターを使った野菜作りに凝ったこともありました、自分で育てたトマトやキュウリなどほんとにおいしいです。ただ数年前に引っ越しをして環境が変わった事もあり最近はとんとご無沙汰です。お酒は嗜む程度ですが好きな方です。何たって酒処・伏見のお膝元ですから。


前川化学工業(株)さんを訪問して
今回は京都の伏見に本社を置く前川化学工業(株)さんを訪問しました。インタビューを通して一つ一つ丁寧に受け答えして頂くなかに、その実直なお人柄がひしひしと伝わってきました。仕事一筋だったという創業者のお父様の遺志を立派に受け継がれ、更に先を見据えて、業務効率の改善、最新技術の習得、販路の拡大など様々な取り組みをされているとの話をお聞きし、穏やかな外見とは異なり事業への並々ならぬ意欲を感じました。伏見と言えば日本を代表する酒処、聞けば会社から5分以内のところに24件の造り酒屋があるとの事です。お酒の好きな方にはなんとも嬉しい町です。
今後、益々のご発展を祈念しております。
                            事務局 三島通弘


投稿者 : admin 投稿日時: 2017/05/10 (555 ヒット)

(左:会長、右:中島社長)

株式会社 愛善商会

〒540-0003
大阪市中央区森之宮中央2−8−16
TEL 06−6966−2371
FAX 06−6966−2370
社長  中島 啓

−愛善さんの歴史を教えてください−
私の祖父 中島善太郎が当時工業用ベルトを手広く扱っていた村上商店に丁稚奉公に入り、そこでベルト業を覚えたようです、やがて昭和10年10月に天王寺区小橋でベルトやその関連品も扱う商店として創業しました。そして徐々にベルトをメインに扱うようになっていきました。戦時下では、南方方面や満州に出征しましたが、運が良かったのでしょう、岡山で終戦を迎えました。戦後の混乱期も過ぎた昭和29年に株式会社に改組し愛善商会を設立、本社を中央区安堂寺町に移しました。その後は日本経済の好調な波に乗り、東京進出や新工場建設や東大阪市大阪機械卸業団地内に営業所を開設など順調に社業が発展しました。昭和56年には、お得意先さまのニーズに合わせ、合成樹脂加工業務にも手を拡げました。平成2年祖父の後を受け、父善一郎が2代目社長に就任しました。株価の大暴落や地価の崩壊など日本全体を未曾有の混乱に落とし込んだバブルの崩壊の時期でした。しかしその難局を社長以下、社員一同の結束で乗り切ることができました。「失われた10年」と言われた長期不況が少し回復した当時、人を募集しようとしたのですが、社屋の古さや交通の便の悪さからか、誰も来てくれないというありさまでした。そこで思い切って本社を移転することにしました。条件は、環状線の内側、駅が近く交通の便が良い所でした。結果、現在の場所に新社屋を建設する事となり、平成10年7月に移転しました。私は大学卒業後三ツ星ベルトさんの東京支店に2年半務めたあと、当社の東京支店に入社し5年ほど営業を担当していました。そして平成24年8月、私が3代目社長として父からバトンを引き継ぎ現在に至っています。世間でいう回復基調とは裏腹にこの業界はまだまだその兆しを感じられないままですが、これからは大阪はもとより東京支店や名古屋営業所も伸ばしていきたいと考えています。

−愛善さんの社是・企業方針などお聞かせ下さい−
 祖父の善太郎は「働くことが人生だ」と書いた額を掲げていました。現在は社是と言えるかどうかはわかりませんが、テーマは”愛される善い商品の提供”です。社名の愛善商会はここからきていると思います、ただ“善”は祖父善太郎の一字をとったという説もありますが・・・。
またモットーはBETTER GOODS MORE QUICKLY BETTER SERVICE「良い品を、より早く、よりよいサービスで」です。
あらゆるマーケットに価値ある製品を提供し、品質の優秀さによって信頼性を得ることが、企業成長の鍵であると考えています。

−いま注力、或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせ下さい−
 コンベヤベルトを主に、伝動ベルト、エンジニアリングプラスチック、工業用ゴム製品などを取り扱っています。中でもコンベアベルトの在庫は業界トップレベルで、お客様のあらゆるニーズに対応できると自負しており、弊社の大きな強みと考えています。それらの商品をコンピュータオンラインによる商品管理システムと全国配送ネットワークで迅速にお届けしています。
もう一つ重要視しているのがベルト加工技術の継承です。自社加工センターを始め現場でのエンドレス加工はもちろん、600種類以上も保有している金型を使っての様々な形状の桟付加工も行っています。長年培ってきた経験や技術、製造ノウハウや製品管理ノウハウを次世代に確実に引き継いで行かねばならないと考えています。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
 社員の平均年齢は40歳前後と、この業種では比較的若いのではないかと思います。社長の私が40歳ということもあり、社員同士うまくコミュニケーションがとれているように思います。社内ゴルフコンペや今では珍しくなった麻雀大会、それに一時中断していた社員旅行も近年は社員の希望もあり毎年実施するようになりました。社員が率先して企画・運営をしてくれます、これも社員の仲が良い表れだと思います。

−ご趣味をお聞かせ下さい−
父であり会長である善一郎は、仕事が趣味という人です。昔は大変厳しかったです、よく怒鳴られもしました。しかし孫が出来てからはマイルドになりました。今の趣味はゴルフのようです。私は中学時代には陸上部で走り高跳び(ハイジャンプ)に打ち込んでいました、地区大会で優勝したこともあるんですよ。ただ、今趣味といえるものはやはりゴルフです。千歳商事の糸井宏之さん、梶川商店の梶川潔さん、セイブプロセスの加藤昌平さんと世代は違いますが、「巳年会」というのに参加させてもらっており、そこでゴルフも楽しんでいます。長年趣味として続けていた「アクアリウム」(観賞魚・水草など水生生物の飼育設備)は、以前装置の故障で全滅させてしまってからは中断しています。小さな子供たちが水槽を叩いてしまうだろうと思い、今はあきらめています。子供たちが成長したらまた挑戦したいと考えています。
 



左(安堂寺町の旧本社) 右(当初の東大阪営業所)



愛善商会蠅気鵑鯔問して

今回は昭和初期の創業以来、今や搬送ベルトを扱う商社の代表格である愛善商会蠅気泙鯔問させて頂きました。森ノ宮駅から徒歩8分、近くに大型商業施設や高層住宅が共存している街並みをしばらく歩くと突然ハイセンスな建物(本社ビル)が目に飛び込んできます。以前、理事を務めて頂いていた会長と現在監事をお願いしている社長、お二人揃ってインタビューに応じて頂きました。会長は5年前の65歳の時に社長を退かれ現社長にバトンを渡されたとの事ですが、お二人から発せられる言葉の端々から今も良好なコンビネーションと深い信頼関係を感じました。
今後、益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2016/10/25 (368 ヒット)



株式会社 ダイニチポリマー

〒536-0022
大阪市城東区永田3−7−20
TEL 06−6963−2101
FAX 06−6963−2144
社長  森川元治


−ダイニチポリマーさんの歴史を教えてください−
 私の父、森川誠治が昭和50年6月に創業しました。父は昭和4年生まれで、軍国少年として育ち、終戦時は予科練生(海軍飛行予科練習生)だったと聞いています。戦後の混乱時期を乗り越え、戦後日本の復興の一翼を担ったのでしょう。長年勤めた呉羽ゴム工業(株)を46歳で円満退社し、一念発起、堺市の自宅で起業しました。父は、社名を「大日本・・・」としたかったのですが、余りにも大仰なのでダイニッポン+ポリマー=ダイニチポリマーと名づけたそうです。その当時は、呉羽ゴム工業の代理店として主として工業用ゴム製品、紡績用ラバーストリップそして合成樹脂製品を販売していました。私は、その時、高校生でした、事業が軌道に乗るまでは経済的にも決して楽ではなく、父がどこからか持って帰ってきた内職仕事で生計を立てておりました。そして、事務所が堺では商売上何かと不便ということで昭和52年に事務所を緑橋に移転しました。やがて私が大学に入ると、父が自動車免許を取得させてくれ、得意先への納品なども手伝うことになりました。お得意先へ納品に伺うと、時代ですね、私を椅子に座らせ諸先輩方が何やかやと可愛がってくれましたし、また業界のいろんな情報も自然と耳に入ってきました。今考えるとこれらも貴重な経験だったと思います。その後、業容拡大に伴い昭和55年12月に(株)ダイニチポリマーに改組し、そして昭和58年に現在の城東区永田に移転しました。大学を卒業した私は、父の勧めで京都の塩谷化成(株)に就職し、本社近くで寮住まいをしていました。ところが父の会社が忙しくなり人手が必要となったのでしょう、2年で呼び戻されました。そして、平成13年1月に42歳で社長を引き継ぎ現在に至っています。また、平成16年には、縁あって事務所の隣にあった元紳士服メーカーの社屋を購入し、現在に至っております。取扱商品の構成は、Oリング・成型品などのゴム部門が70%ぐらい。ジョイントシート部門が10%。樹脂が20%のバランスです。

−ダイニチポリマーさんの社是・企業方針などお聞かせ下さい−
 「世の中のお役に立ちたい」です。言い換えれば世の中に役に立たないことはしない。これに尽きます、私が決めた事業に対する信念です。 

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせください−
 工業用機械向けの「免震用ゴムによるライニング」です。某メーカーと共同研究を始めて3年目になります。現在は本作用の実験段階までこぎつけました。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
少人数で家庭的であるということに尽きます。ただ実の家族や親族は敢えて入れてきませんでした。後継者についても肉親への拘りは全くありません。

−ご趣味をお聞かせください−
 学生時代は、アウトドアのスポーツで楽しんでいました。その後魚釣り、それから派生して料理に凝ったりもしました。また、一時期写真にも凝りました。そしてそのあと、今に続く趣味となる音楽に出会います。東大阪市の枚岡に住んでいた頃、近くの枚岡神社の禰宜さんに誘われて「雅楽部」に参加したのがその始まりです。私は「篳篥(ひちりき)」を担当していました。結婚式などの応援で演奏する機会も多くあり、5年ほど続けたでしょうか、大安の日曜日に必ず駆り出されることと、雅楽の独特な因習に共感が持てなくなり辞めることにしました。今度は、竜笛(雅楽の横笛)の経験もあることからフルートに興味をもち、ヤマハのフルート教室に通うことになりました。それから約10年、今では定期的な演奏会をはじめ、機会を見つけては演奏しています。他に「国宝めぐり」も大好きです。現在、国宝に指定されているのは千件余りあるそうです。いずれ全国のすべての国宝を訪ね歩きたいと考えています。まるで遊び人のようですが、いろいろなタイプの方に話を合わせられるので、これはこれで有りだったのかなと納得しております。



(株)ダイニチポリマーさんを訪問して
 
 “世の中の役に立つことだけをやる”という森川社長の信念に感銘を受けると同時に、これそが今の世の中に本当に必要なことではないかとあらため感じさせられました。一方、スポーツ、料理、写真、音楽と、社長の旺盛な好奇心からかその幅広い趣味にも驚かされました。今後、益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2016/07/20 (665 ヒット)

(左 ご子息  右 中井社長)

中井ゴム工業株式会社

〒600−8028
京都市下京区寺町通松原下ル
TEL 075-341-3381
FAX 075-341-0845
社 長 中井 茂

−中井ゴムさんの歴史を教えて下さい−
 創業者は私の父中井善七です。滋賀県出身で大正6年生まれです。当時京都にあった藤川ゴムで働いていたと聞いています。軍隊には入隊せず、終戦まじかの昭和19年に28歳で中井ゴム商会を創業しました。創業地は中京区河原町です。昭和26年に株式会社に改組し翌昭和27年に現在地である下京区寺町に移転しました。お酒が好きで、酔うと説教好きな父親でした。戦後は物資のない時代でしたが、旧軍の放出品や何やかんやで商売は大繁盛だったと聞いています。特にリヤカーや自転車のタイヤは、あればすぐ売れる時代だったようです。
 

創業時


幼き日の中井社長
               
戦後の復興から朝鮮特需、そして高度成長の波のなか順調に事業を伸ばしました。私はというと、京都で生まれ、京都の大学を卒業し、そのあと縁あって一時、老舗の陶器卸「たち吉」に勤めました。百貨店まわりの営業を担当し、それなりに楽しく仕事をしていたのですが、その頃、永く務めていた番頭さんが辞めるなどの事情もあり一年後父親に呼び戻されました。そして昭和50年、父親から社長を引き継ぎました。昭和47年の第1次石油危機、昭和54年の第2次石油危機、平成に入ってのバブル崩壊やリーマンショックなどなど、経済の荒波にも見舞われましたが、京都という市場の特殊性もありさほど影響を受けることなく、本業一筋に地道に事業を継続してきました。そして平成18年父善七が92歳で亡くなりましたが、その後、息子も会社に入り頑張ってくれています。

−中井ゴムさんの社是、企業方針などお聞かせください−
 文字にしたものはありません。父親が滋賀の出身だったからでしょうか、「買い手よし、売り手よし、世間よし」といわれる近江商人の活動理念である「三方よし」を大事にしていました。企業の社会的責任(CSR)が強く叫ばれる昨今、企業の間でも近江商人のこの言葉が再注目されています。 また、「適材・適所」やよりわかりやすい「誠実・勤勉・忍耐」などもよく聞かされたものです。 

−いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせください−
 家業をしっかり守っていきます。京都人の特徴でしょうか、京都という小さな町のせいでしょうか、ガツガツと商売を伸ばすことより、協調を大事にしていこうと考えています。その時代に合ったもの、お客様に満足していただけるもの、小ロットでも丁寧に商売をしようと思っています。同業他社さんにくらべても、ゴムの扱いが突出して多いですね。9割がゴム製品で、1割がプラスチック製品です。ゴム製品の金型はかなりの数をお預かりしています。もちろんお客様の要求に最適な付加価値の高いゴム製品です。

−会社自慢、社員自慢をしてください−
 家族経営です。8人中6人が家族なんです。だから辞めようにも、辞めれません。平成19年に息子が会社に入ってくれました。京都のソフトウエアメーカーに7年勤めていました。ユーザーとのやり取り、材質・物性などのデータ提出などにも得意のパソコン等を駆使し、大変役立ってくれています。ゴム商組主催の勉強会にも参加させてもらっていますよ。親が言うのもなんですが、まじめで勉強熱心な息子です。

−ご趣味をお聞かせください−
 ゴルフはしますが、趣味といえるかどうかな〜。自分から進んでエントリーなどはしないですから。カメラはすきです。写真撮影ではなく、カメラそのものです。クラシックなカメラを中心にかなりの台数があります。家内と「街歩き」もします。京都の町を自分の庭がわりに散歩しています。これだけ散歩しても、まだまだ知らない、行ったことがない寺や神社などがたくさんあります。世界文化遺産である京都に住んでいる恩恵にあずかっています。


中井ゴム工業(株)さんを訪問して
 
 今回は京都の中井ゴム工業蠅気鵑鯔問させて頂きました。四条河原町から歩いて10分弱の鴨川にほど近い京都風情が漂う街の一角に事務所はありました。一部資材スペースも兼ねた事務所は決して広くはないものの、その佇まいからは先代より半世紀以上に亘り受け継がれてきた歴史を感じました。いつもの温厚な面持ちでインタビューに応じて頂いた中にも、頑固なまでに本業一筋、ゴム一筋、またお客さま満足を最優先に事業を継続されてきたその信念は古都京都と合い通ずるものがあるように感じました。今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


投稿者 : admin 投稿日時: 2016/06/29 (672 ヒット)



株式会社モリテック

〒552-0012
大阪市港区市岡2-1-7
TEL 06-6573-5683
FAX 06-6574-5886
社 長 森 孝裕

―モリテックさんの歴史を教えて下さい―

創業者は私の父森 博です。昭和36年3月、24歳の時に一人で創業したと聞いています。ゴムの加工技術を学び、中でもロクロによる加工を得意にしていたようです。5年後株式会社に改組し「株式会社森ゴムパッキング製作所」と社名変更しました。昭和49年には、東京進出を果たし、その後昭和52年に名古屋営業所開設、昭和57年に大阪第2工場、昭和60年に大阪第3工場を新設し事業は順調に拡大していきました。
しかし、昭和62年父が50歳の若さで他界してしまいます。もともと、頑強な体ではなく、お酒が好きだったのも影響したかもしれません。急遽、私 森 孝裕が若干27歳で二代目を継ぐことになりました。大学卒業後お世話になっていたタイガースポリマー(株)さんから父の会社に戻って3年目のことでした。カリスマ経営者の父親から突然のバトンタッチに戸惑いながら、タイガースポリマー(株)の故澤田博行様をはじめいろいろな方の助言・ご指導を頂きながら頑張ってまいりました。
会社の諸規則の整備や諸制度の改革を行い、一方で新技術、生産性向上のための研究センターも設立しました。平成4年には、CIを導入し“新たなる創造への挑戦”のため、社名を「株式会社モリテック」と改称しました。平成7年に名古屋工場開設。平成10年に物流システム効率化に向け倉庫を新設。その後、リーマンショックによる厳しい経験も経て、昨年1月には品質管理専用社屋竣工に伴い検査設備の拡充を図りました。
そして今年2月、名古屋支店・新工場を名古屋市天白区に拡大移設し設備も増強しました。また4月には、東京工場を従来の2倍に拡張します。これらにより品質の向上、短納期化など顧客満足度を高め、作業環境の改善で社員満足を高め、生産拠点の分割でBCP対応にも十分寄与する体制が構築できると考えています。見方を変えればこれらはすべて根本の目標である「顧客満足度をさらに高める」という点に集約されると思います。
一方、グローバル化の足掛かりとして小規模ながら12年前にアメリカのシカゴに進出しました。ベンチャーとして苦戦の連続でした。リサーチにかなりの年月を要しましたが、ここ数年やっと採算がとれるようになりました。これを地道に継続し拡大していこうと考えています。

―モリテックさんの社是、企業方針などお聞かせください―

「理念」
モリテックは社員(家族)・顧客・仕入れ先・業界・地域の全ての人に満足を与えられる企業であり続ける、です。
「目指すところ」
目指すところは常にニッチトップ
目の前の業績よりも常に100年継続させるための方法を考える、です。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることについてお聞かせください―

製造の関連ではQCDの向上を常に行っていく、そのためには人材育成に注力しています。従来から実施しているコンサルによる各種専門的な研修に加え、従業員の自主性やリーダーシップを養うための社員による自主学習会を数年前から行っています。月2回ぐらいのペースで終業後にも拘らず参加者も増加しているようです。一方、製造技術の伝承についてはOJTを基本とした新しいシステムも検討しています。
また販売の側面では販売促進支援のアイデアの提供ための「販売支援グッズ」の開発にもこれからもどんどん新しいアイデアを出したり、逆にお客様からアイデアを頂いたりして積極的に進めていきたいと考えています。

―会社自慢、社員自慢をして下さい―
   
お客様の要望に応えられるあらゆる材料を持っている事。そして短納期で複雑な加工を正確に行う事ができる。社員の平均年齢は35歳と若く、ベテラン、とのバランスがとれていることでしょうか。また定着率も高いです。社内のクラブ活動は大阪がソフトボール部、東京は野球部があります。
大阪は甲子園経験者なんかもいてなかなか強いチームです。

―ご趣味をお聞かせください―

以前はバンドでドラムを叩いたり、健康目的でキックボクシングをかじったりもしましたが、種々の事情で今はしていません。
一方、趣味とは言えないですが以前から実益をかねて、毎日七時半からネットでネイティブとの英会話レッスンを行っています。その成果の程はまだまだですが旅行での英会話には少しは役に立っているかもしれません。また、これも趣味とは言えませんが異業種の方も含めいろんな人達との交流も好きです。いろいろと学ぶことも多いですし、何と言っても楽しいです。その他に食べたり飲んだりも大好きです。


(株)モリテックさんを訪問して
現在副理事長を務めて頂いており、また総務委員長としていつもお世話になっている森社長を訪問ということで緊張感の中にも親近感を感じつつのインタビューとなりました。
20代後半の若さで社長を継がれ様々な試練を乗り越え今日の規模と技術力を培われてきたその実績、更には100年先を見通さんとする経営センスに森社長の自信と意欲を垣間見た感じがしました。今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)


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