共同ゴム株式会社

〒551-0002
大阪市大正区三軒家東4丁目10番23号
TEL  06-6552-3601
FAX  06-6552-3602
社長 宮澤 洋

―共同ゴムさんの歴史を教えてください―

昭和13年(1938年)、初代林新三が、大阪市南区上汐町において共同ゴム商会を創業しました。今年で創業80年になります。社名の由来は近江商人の“三方よし”の精神に共感して名付けたと聞いています。当時は主として軍需及び工業用ゴム製品を取り扱ったようです。戦災により事業を中断しましたが、戦後まもなく昭和21年12月に再興したとのこと。その後、日本の復興は重工業からの見通しのもと重工業関連の大手企業を得意先として営業展開を行い、三井鉱山の関連で昭和25年に福岡営業所を開設、昭和43年に住友金属工業鹿島製鉄所の開業に合わせて東京営業所を開設、日立造船からはダムをはじめとする水門関連の仕事を請け負うなど業容を順調に拡大していったようです。水門関連は定期的な補修工事が発生します、当社が金型を持っている強みもあり厳しい価格競争は強いられるものの50年くらい前から今も毎年コンスタントに受注してい ます。昭和34年林新三の死去に伴い、実弟の林久壽夫に引き継がれます。林久壽夫には実子がいなかった為、平成9年(1997年)当時取締役であった岸田哲夫が三代目の社長を引き継ぐことになりました。私は四代目で岸田哲夫の義理の息子にあたります。学生時代お付き合いしていた女性がたまたま岸田哲夫さんの娘さんだったという縁で平成28年4月に入社し、平成29年(2017年)に社長を引き継ぐことになりました。私は静岡県の片田舎の出身ですが、高校からはサッカーで有名な磐田市に下宿し、さらに大学は京都で下宿という生い立ちです。この会社に入るまでは今の業種とは全く縁のない世界で16年間サラリーマンをしていました。

―共同ゴムさんの社是、企業方針などをお聞かせください―

今から40年ぐらい前に、社訓を社内コンテストで募集し決めたようです。それが現在ホームページに掲げているものです。
社訓  三つの心  
一 努力の心、一 反省の心、一 感謝の心
ただ、以降半世紀が経ちますので、新たに社是、社訓を再考してみようと思案中です。

―いま注力されている或いは今後注力しようと考えていることについてお聞かせください―

 初代社長以降築いてきた大手得意先との直需取引、中でも定期的なメンテ仕事を大事にすると同時に、今までに築いてきた商流を活用し品種に捉われないゴムホース・ベルト、ゴム板等工業用ゴム製品などの幅広い商材販売の二本立てはこれからも継続していきたい思っています。また今後はゴム・樹脂の専門総合商社として今まで培った実績と情報収集力を武器に的確にそして迅速にお客様のニーズにお応えするとともに、アフターケアにも力を注いでいくことが重要だと考えています。

―会社自慢、社員自慢をしてください―

古くからの得意先も多いこともありベテラン社員は嘱託として残ってもらう一方、10年ぐらい前から社員の若返りを図りました。社長である私自身が42歳ですし、他も40代、30代です、今年新たに20代が入社しました。みんなで飲みに行ったりカラオケにもよく行きます。皆性格も素直で本当に真面目です、こらからが楽しみです。この本社も5年前に谷町からこの場所に新築・移転しました、周りの環境も良く働きやすい職場だと思います。

―ご趣味をお聞かせください―

大学卒業後、スポーツ新聞社に入社し最初は野球を担当しました。地元阪神ファンの熱狂ぶりは静岡生まれの私としては唯々驚くばかりでした。その後好きなサッカー担当として地元関西のJリーグのチームをはじめ、日本代表、またワールドカップやオリンピックなどスポーツ記者として国内外を取材で飛び回っていました。ある意味楽しい充実した期間を経験しました。ただ私本人は、かなりのめんどくさがり屋で、ジムに行っての着替えやシャワーも考えるだけでも邪魔くさくなります、なのでスポーツはあまりしません。ただ最近になってゴルフを始めましたがまだまだこれからです。趣味といえば飲みに行くことと読書ぐらいです。読書に関してはジャンルは広いです。経営の本、ハウツー本、歴史もの、サスペンスなどなど、本でも雑誌でも活字が手元にないと落ち着かない一種の活字中毒かもしれません。

共同ゴム(株)さんを訪問して
元スポーツ新聞の記者という異例の経歴をお持ちの4代目宮澤洋社長、縁あって経営者という立場でこの業界に身を置くことになりまだ少し戸惑いを感じつつも意欲的に事業に取り組まれている姿勢に爽やかさを感じました。今後は組合事業にも積極的に参加していただけるとの意向をお聞きし嬉しく思います。
今後ますますのご発展を祈念しております。

(事務局 三島通弘)