株式会社モトヤ商会
〒550-0015
大阪市西区南堀江4丁目24番11号
TEL 06-6541-5191
FAX 06-6541-5194
社長 村上莞爾
-モトヤ商会さんの歴史を教えてください-
私の生まれは「満州国新京蓬莱町」だそうです。父親は職業軍人(憲兵隊に従事)でした。満州国で生まれ、日本には昭和18年頃母親の里淡路島に帰って参りました。洲本市で幼稚園、尋常小学校と過ごし父親の出生地の石川県に引き上げて参りました。外地での生活、父親との別れ、列車のデッキから右手は白い手袋で左手はサーベルを持ち、颯爽と輝いて見送りの方々に敬礼をされていました。これが父との最後の別れとなってしまいました。5歳のころだと思いますが鮮明に覚えております。石川県で終戦を迎えました。西荒谷町という10軒くらいの集落でした。
北陸地方には各々「名字」はありますがそれとは別に「屋号」があったものです。たとえば「もとや」「せくさ」「ういさ」「いよむさ」とか。この集落は村上家から出来た村だそうで、私の家の「屋号」は「もとや」で、現社名のモトヤは先祖からの「屋号」を頂きました。
幼少のころに、温泉で有名な粟津市に引っ越しました。高校は、石川県立小松実業高等学校(現:石川県立小松商業高等学校)を卒業しました。
私の前職は(株)野佐和商会という会社です。そこで14年間程修業させて頂きまして円満退社で昭和44年2月31才で独立させてもらいました。主に土木、建築関係を得意先として諸資材を販売させて頂きました。
昭和45年9月(株)モトヤ商会に改組致しました。平成元年2月に創立20周年を記念に新社屋を落成致しました。
私が創業者で今年創業53年になります。
近年はダム関連工事で九州・沖縄方面に12年ほど、その後は北海道方面に10年近く大変忙しく商売をさせて頂きました。土木建設用接着シール材供給とコンクリート構造物の諸施設の関連工事です。しかし、2009年民主党政権下での「コンクリートから人へ」のスローガンで公共工事(コンクリート)に多額の税金投入批判や、環境問題などでダム事業は大きく後退しました。しかしあれから10年。災害大国日本の現状を見たとき、国土強靭化政策で新たな考えのダムが必要になっているのではないでしょうか。
-これから特に注力していきたいことはどんなことでしょうか-
我が社のもう一つの事業はビルの防水工事です。大手ゼネコンに信頼と実績をかわれて太いパイプで繋がっています。今も大阪で高層ビルの地下防水工事を請け負っています。木造住宅やビルの外装の防水はしていません。
-経営者としての信条などお聞かせください-
私は若い時から猪突猛進で、家庭も顧みず突っ走ってまいりましたが、振り返りますとある先生が言われていました通り、経営者は孤独なもので【人に長たる者は孤独寂寥に耐えねばならぬ】と、ある時は厳しく、またある時は優しく。会社は社員との共同事業だと常々言っています。会社が雇ってあげているのでなく、働いてもらっている、半々の立場で会社を形成していくものだと厳しく言っています。
-会社自慢、社員自慢をしてください-
長年培ってきた良好な人間関係が自慢です。中堅・若手社員もそれぞれの立場で良い人間関係を築いています。
私の家族は、良き妻であり良き会社のパートナーである妻と一男一女です。子供たちは自立して30年余り経っており、男の子はコロナで有名な某製薬会社で、女の子は良き嫁で二人ともわたしの会社の事には何の関心も持ってくれません。会えば、いつになれば引き継ぎをするのですか、運転免許はいつ返上するのかと矢の催促を浴びております。私は今年満84歳ですが至って健康で気力も充実しています。
-社長のご趣味をお聞かせください-
仕事の次はゴルフとプロ野球観戦です。地方を飛び回っているときはよくプレーしましたが、ただ近年ゴルフの回数は減りました。若い人に機会を譲っていくようにしてます。野球は阪神タイガースのファンで、今年は「寅年」ですので、優勝の年だと確信しています。
ゴルフでも観戦チケットでも人のお世話は好きで、一生懸命サービスします。
最後に西部ゴム製品卸商業組合の会員の皆様、これからも社員ともども小さくまとまり、決して慢心せず社会に貢献して参りたいとの所存であります故、末永くご愛好いただけますようお導きください。