山一化工株式会社
〒537-0011
大阪市東成区東今里2丁目14―6
TEL 06-6971-0016
FAX 06-6971-0017
社長 山本 剛
―山一化工さんの歴史を教えてください-
私の父、山本公夫が昭和28年(1953年)に西区阿波座に営業所を開設したのがスタートです。満州から引き上げて、生まれ故郷の滋賀県信楽町で中学校の教師をしていたのですが、その後、大阪に出てきて、四天王寺あたりでいろいろな商売をしているときに、プラスチックと出会ったそうです。
昭和30年(1955年)に押出製品の製造を始め、昭和32年(1957年)には八尾市に押出成型工場を開設しました。この頃に日本中で大流行していた「フラフープ」でだいぶ儲けたようです。最近もダイエットに良いということでフラフープが流行っているようです。
昭和33年(1958年)東京営業所を開設、業容は順調に伸び、昭和35年(1960年)旧本社のある東心斎橋に本社を移転しました。
昭和41年(1966年)には 滋賀工場を新設、昭和44年(1969年)には工場を増築してロール部門を増設しました。
私は、昭和48年(1973年)に大学を卒業し、名古屋の企業に就職したのですが、1年で呼び戻されて、昭和49年(1974年)山一化工㈱に入社しました。勤務地は八尾工場に勤務しましたが、折からのニクソン・オイルショックで仕事が全くないという状況でした。しかし以後経済は回復し、昭和48年(1973年)米国UL規格、翌年にはカナダCSA規格を取得するとともに、昭和60年(1985年)東京工場の新設、平成3年(1991年)栃木工業の新設と現在の陣容をととのえることができました。
創業者の父が昭和63年(1988年)に73歳で亡くなりました。アイデアマンで、仕事や社員にはことのほか厳しかったようです。半面家庭では、優しい父親でした。
平成22年(2010年)に上月さんの後を受け4代目の社長に就任し現在に至っています。 営業種目は、ホース・チューブ異形押出製品や各種プラスチック製品です。自社製造と商社部門で扱い高は半々ぐらいです。
―これから特に注力していきたいことは―
すでに30年の販売実績があるのですが、「エバドレン」です。インフラに欠かせないトンネル漏水・高架橋用の受桶です。新設時にも更新時にも需要は多いものと考えています。
もう一つは「マイラー押出成形品」です。アルミ蒸着したマイラーシートを押出成形時に表面または内部に溶着する技術です。自動車の内外装モールや照明器具・家具など広くデザイン性とマッチングすると用途はいろいろとあるものです。 また医療関連製品には注目しています。現状では、自社にクリーンルームがないのですが、将来は設備を整えて拡販したいと考えています。
―山一化工さんの社是、企業方針などお聞かせください―
私で4代目の社長となりますが、特に社是・社訓などはありません。ただ、明るい職場づくりを心掛けています。 またホームページの「TOPメッセージ」では、「今まで培ってきた技術力の上に新たなる技術を習得し、世の中の変化に柔軟に対応しつつ皆様のお役に立つ製品づくりに全力を注いでまいります。また、商社部門としましては、わたしどもの製品とは違った商品でメーカーと協力して皆様のお役に立ちたいと思います。より良い製品を供給すると共に社会に貢献できる企業を目指してまいります」と掲げています。
―会社自慢、社員自慢をしてください―
弊社の特徴でもあり、自慢でもあるといえば、「商社とメーカー」の両方をバランスよく持っていることでしょうか。商社機能で、商材の巾が広くなりユーザーへの対応力が増しますし、メーカーあることでオリジナリティな商品供給が可能になると考えています。 昨年10月に本社を東心斎橋から今の場所に移転しました。旧本社は雨が降っても傘が要らないほど駅に近い立地でしたが、今ではインバウンドの観光バスや人に囲まれ過ぎて物流拠点としては難しい状況でした。63年居て建物の老朽化もあり移転に至ったのですが、新社屋は、3階建てで旧本社の1.5倍のキャパになりました。新建材の匂いと使い勝手のいいレイアウトで社員にも好評です。
―社長のご趣味をお聞かせください―
学生時代は、クラブや同好会にも参加していませんでした。今の趣味は、ゴルフと読書です。ゴルフは、たまに家内ともラウンドします。読書は、「新潮文庫100選」をベースに読んでいます。新潮文庫100選は、新潮文庫が近・現代の優れた作家による100冊の本をチョイスしてくれているキャンペーンです。良書を選ぶ良い指針になります。半分ぐらい読み切りました。