2024年7月号 長田区あたり
今日は神戸市を構成する行政区9区のうち、人口密度は最大、面積は最小の「長田区」あたりを歩きます。スタートはJR新長田駅です。
JR新長田駅
新長田駅の近辺は1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受け、その後に復興・開発され、駅も新しくなりました。でも新しい駅舎が建てられたから「新長田駅」と名付けられたのではありません。
山陽線が開通したのが1888年(明治21年)で、当時神戸駅から西へは兵庫駅、須磨駅、垂水駅、明石駅で、長田あたりには駅はありませんでした。新長田駅が作られたのは戦後も戦後1954年(昭和29年)だったのです。駅名に「新」が付いたのは、新しいまちづくりの期待もあったようですが、近くを走っていた山陽電鉄と神戸電鉄にすでに長田駅があったので、駅名の重複で紛らわしさを避けるためだったそうです。
長田といえば「鉄人28号」です。駅を海側に降りて線路沿いを西に歩くとその堂々とした姿が見えます。近づいてみると、さすがに「復興の象徴」と言われるだけあって、高さ15mの鉄の像から力強さが伝わってきました。
鉄人28号
鉄人28号の作者横山光輝が長田で育ったという縁から、地域の人々の努力で震災9年後の2004年に完成しました。奈良の大仏さんは台座を含めて15m、鎌倉大仏は11m、比べるのは無意味ですが、本当に巨大なモニュメントです。
新長田一番街入り口
2階部分をつなぐ連絡橋
神戸市はこの新長田一番街を復興のシンボル的地域として、かなりの力を入れました。通りの両側に高層アパートを建て、2階にも商店の開設を期待して、両側のビルをつなぐ連絡橋も設置し、街の復興を期待しました。しかし残念なことに長田全域で企業数も人口も期待通りには回復していないのが実状です。
新長田一番街から国道2号線を横切り、大正筋商店街を南に進み、左折して六軒道に入ります。商店街のあちこちに「三国志」に登場する人物の石像が立っています。関羽や周瑜など像は復興イベントに使われたのですが、今となっては不思議な存在になっています。
六軒道から南に下り、市営地下鉄海岸線(三宮⇔中央市場前⇔御崎公園(サッカー競技場)⇔苅藻⇔新長田)が走っている高松線に出ます。駒栄橋を東に渡り、地下鉄「苅藻駅」をから山側に向かいます。ここに来たのは「三ツ星ベルト㈱本社」見学のためです。
三ツ星ベルトは1919年に木綿ベルトを主製品とする合資会社三ツ星商会として創業、1992年神戸ハーバーランドに本社を移転、阪神淡路大震災後の2000年に会社発祥のこの地に戻ってきました。国内だけではなく海外にも製造・販売拠点を持つ神戸を代表する会社です。
三ツ星ベルト㈱本社ビル
三ツ星ベルト本社には製品展示会場などはありません。守衛さんの許しを得て玄関ロビーにある会社の海外拠点紹介のパネルや創業70周年記念のタイムカプセルとして埋められた製品などの展示を見せてもらいました。
ロビーでそれらを見学していると、たまたま別の訪問者との会談を終えた社員さんの計らいで、後日担当者へのインタビューが実現しました。
自動車や農業機械に使われている動力伝達ベルトの製造は三ツ星ベルトの最も得意とする分野だそうです。しかしこれらの製品の多くは部品として内蔵されているために直接見ることはできません。
三ツ星ベルトの製品で我々が直接目にするものとしては、自転車用のベルト、ATMのカバー、ゴルフ場の池の遮水シート(水漏れ防止シート)などがあります。遮水シートはビオトープの池にも使われています。
三ツ星ベルトは神戸市北区君影小学校を皮切りに神戸市の小・中学校に無償で土木用遮水シートを提供してきました。この功績に対して神戸市から『環境功労賞』が贈られています。
三ツ星ベルトも、当然ながら阪神淡路大震災の被害がありました。社史には「工場建物・設備の一部損傷」と書かれています。機械装置、器具、工具、金型の損傷などに被害が出たとのことでした。
長田は震災後の火災で震災の被害がさらに大きくなった地域です。会社のある真野地区も例外ではなく、工場近くまで火がせまってきました。それに対して当直の社員など60人ほどが「自衛消防隊」を結成して消火活動開始したそうです。一時は鎮火したのですが、午後になり再び火事が発生し、この時にも自衛消防隊が活躍。近隣住民や市の消防隊との協力を得て類焼を防ぎました。火災に対する日常からの訓練、相当量の貯水と井戸の存在、そして地域住民との付き合いの歴史などが被害の拡大を防いだようです。避難所となった会社の体育館には近隣から400名の罹災者が数か月を過ごしたそうです。そんな状況の中、社員の努力、関連会社の協力のほか、さまざまな方面からの支援により、会社は被災してから早い段階で操業を再開する事ができたそうです。
三ツ星ベルトは1980年に発足した、住民と各種団体・企業による「真野地区まちづくり推進会」に参画してきました。ハーバーランドにあった本社を創業の地である真野に戻したのも、会社の都合だけではなく地域から要請が大きかったからと言われています。
ヴィッセル神戸オフィシャルパートナー
旧本社工場のレンガの壁
三ツ星ベルト本社ビルを出て西に、新湊川沿いを山に向かって進みます。JR山陽線をくぐって対岸の新湊川公園を歩きます。桜橋あたりに「わが国ゴム工業勃興の地」碑がありました。日本のゴム工業の初期には水枕や手袋、足袋、防水ゴムシートなどを製作していました。この地域にそれらを扱う会社が多かったことを記念して、2019年この記念碑が設置されました。
新湊川公園の記念碑
記念碑制作の趣旨にあるように、周辺にはゴム関連の会社、工場や商店が見られました。記念碑を見て新長田駅に戻ります。
シューズプラザ
長田南小学校の山側の道を西に、長田郵便局を過ぎると赤い巨大なハイヒールが目に入ります。ここが震災後に建てられた「シューズプラザ」です。開館時には1階だけではなく2階まで靴の店がズラッと並んでいたのですが、今は靴博士(外反母趾などに適格な助言ができる)が経営する店だけになってしまいました。店を手伝っているおばさんの「おじさんもいつ引退するかわからん。靴で困っている人は、あの人が元気な間に来てください」とのことです。その店で街歩き用の靴を買い求めました。長田の靴の履き心地はよさそうです
今日歩いた地域は阪神淡路大震災で大規模な火災が発生したところです。神戸市はJR 新長田駅周辺の開発を進め、さらに2001年には市営地下鉄の海岸線が開通しました。一時的に街は活気を取り戻したのですが、工場の市外へ(他府県へ)の移転、それに伴う人口流出などで、その勢いは薄れているようです。新鉄道の地下鉄海岸線も、JR駅と直結していないので乗り換えが不便からか、残念ながら赤字です。 工場の街、靴の街というイメージの強い長田ですが、工場地帯の騒音や悪臭はほとんどなく、空気もきれいで、むしろ住みやすさを感じました。「人を想い、地球を思う」という三ツ星ベルト社の基本理念が街全体に広がり、長田がさらに活性化することを願いながら帰路につきました。
(文と写真:天野郡寿 神戸大学名誉教授)