株式会社大沢商会

〒577-00066
東大阪市高井田本通7丁目3番9号
TEL 06-6782-9330
FAX 06-6782-9340
社長 大沢 啓子

1901(明治34年)に創業者で義理の父でもある大沢秀夫は、山口県宇部市で庄屋の家に生まれました。大沢家は江戸時代に苗字帯刀を許されていたそうです。

秀夫は教壇に立ちたかったのですが、訳あって師範学校に行けず、東京に出て市役所で働きながら勉強をしておりました。1923(大正12年)9月1日の関東大震災に遭遇し、それを機に大阪で、大阪ゴム商社の源流の一角である壇ノ浦ゴム商店で働くことになったそうです。壇ノ浦では、番頭になり、台湾・満州に商品を売りに行くこともあったそうです。日中はセールスをし、夕食後に再び夜遅くまで帳簿付けをしておりました。1934(昭和9年)壇ノ浦ゴムを退社して、大阪市北区に大沢商会を設立し、主としてゴム板・ゴムホース他工業用ゴム製品を販売していました。

商売はその当時、繁盛したようです。1941(昭和16年)戦時統制経済の状況下により、同業5社合同で大阪工業ゴム株式会社を設立しました。しかし、1945(昭和20年)3月の空襲で社屋消失と同時に大沢秀夫が招集され休業となりました。8月の終戦で運よく無事復員し、翌1946(昭和21年)には、大阪市南区内安堂寺町にて業務を再開できました。1965(昭和40年)には、ゴムパッキングを主力とした株式会社大沢商会に組織変更しました。その後、業績は順調に推移し、1983(昭和58年)次男大沢元昭が二代目社長に、1998(平成10年)には私の夫である大沢洋三郎が三代目社長に就任しました。夫の洋三郎は70歳を目前に仕事中に倒れ、夫の仕事を手伝う事になりました。幸い私は40代ぐらいから弊社の経理業務に携わっていましたので、物の流れや資金の流れは、ほぼ把握できておりました。その後2019(令和元年)夫の洋三郎が会長になると共に、私が社長に就任致しました。創業90年を迎えて、幅広い仕入れルートとお客さまのニーズにお応えできる様、社員と共に取り組んでおります。

特に社是などはありません。義理の父で創業者の大沢秀夫の手書きの額がリビングに掛けてありまして、それが武者小路実篤「仲良きことは美しき哉」でした。私はいつもその言葉が心に残っております。そして先代は仕入先を大切にしておりました。営業とは、人と人との繋がりで成り立っているとおもいます。物ではなく自分を如何に買ってもらうかという意識が大切だと思います。それともう一つ「無理のない経営」を心掛けています。

大沢洋三郎(3代目)20代

従来の延長ですが1ロットからでも、短納期でお客様のご要望にお応えし続けたいと思っています。現在の主力はゴム製品ですが、樹脂製品の販売を伸ばすこと、また半導体用途などの先端材料や環境配慮型製品にもチャレンジしていきたいです。

創業90年を迎えることが出来ました。お取引先様、社員の皆様そして先代に感謝です。社員も良い意味で慎重に仕事をします。個々の能力は高いです。私は主人と結婚する迄、会社勤めをしておりました。その経験で働く人の気持ちが実感として解ります。例えば、弊社は残業無しの方針でやっております。有給休暇も取得しやすい環境に努めております。その為にもお互いに協力し合う体制であることが大事です。言いたいことが自由に言える環境も大事だと思います。私は常にワークバランスを考えています。

趣味は「フラメンコ」と「油絵」です。フラメンコは、現在、弊社の役員をしている娘と同じスタジオに通い、年に1度の発表会に向けて毎週レッスンをしています。情熱的な歌とギターの演奏に合わせての踊りを楽しんでおります。
油絵は日曜画家?です。「光の画家」クロード・モネに魅せられます。
何事にも飽きっぽい私ですが、趣味をするにも、年齢を重ねてくると多少の努力が要ります。