中井ゴム工業株式会社
〒600-8028
京都市下京区寺町通松原下ル
TEL 075-341-3381
FAX 075-341-0845
社 長 中井 茂
ご子息(左) 中井社長(右)
-中井ゴムさんの歴史を教えて下さい-
創業者は私の父中井善七です。滋賀県出身で大正6年生まれです。当時京都にあった藤川ゴムで働いていたと聞いています。軍隊には入隊せず、終戦まじかの昭和19年に28歳で中井ゴム商会を創業しました。創業地は中京区河原町です。昭和26年に株式会社に改組し翌昭和27年に現在地である下京区寺町に移転しました。お酒が好きで、酔うと説教好きな父親でした。戦後は物資のない時代でしたが、旧軍の放出品や何やかんやで商売は大繁盛だったと聞いています。特にリヤカーや自転車のタイヤは、あればすぐ売れる時代だったようです。
戦後の復興から朝鮮特需、そして高度成長の波のなか順調に事業を伸ばしました。私はというと、京都で生まれ、京都の大学を卒業し、そのあと縁あって一時、老舗の陶器卸「たち吉」に勤めました。百貨店まわりの営業を担当し、それなりに楽しく仕事をしていたのですが、その頃、永く務めていた番頭さんが辞めるなどの事情もあり一年後父親に呼び戻されました。そして昭和50年、父親から社長を引き継ぎました。昭和47年の第1次石油危機、昭和54年の第2次石油危機、平成に入ってのバブル崩壊やリーマンショックなどなど、経済の荒波にも見舞われましたが、京都という市場の特殊性もありさほど影響を受けることなく、本業一筋に地道に事業を継続してきました。そして平成18年父善七が92歳で亡くなりましたが、その後、息子も会社に入り頑張ってくれています。
-中井ゴムさんの社是、企業方針などお聞かせください-
文字にしたものはありません。父親が滋賀の出身だったからでしょうか、「買い手よし、売り手よし、世間よし」といわれる近江商人の活動理念である「三方よし」を大事にしていました。企業の社会的責任(CSR)が強く叫ばれる昨今、企業の間でも近江商人のこの言葉が再注目されています。 また、「適材・適所」やよりわかりやすい「誠実・勤勉・忍耐」などもよく聞かされたものです。
-いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせください-
家業をしっかり守っていきます。京都人の特徴でしょうか、京都という小さな町のせいでしょうか、ガツガツと商売を伸ばすことより、協調を大事にしていこうと考えています。その時代に合ったもの、お客様に満足していただけるもの、小ロットでも丁寧に商売をしようと思っています。同業他社さんにくらべても、ゴムの扱いが突出して多いですね。9割がゴム製品で、1割がプラスチック製品です。ゴム製品の金型はかなりの数をお預かりしています。もちろんお客様の要求に最適な付加価値の高いゴム製品です。
-会社自慢、社員自慢をしてください-
家族経営です。8人中6人が家族なんです。だから辞めようにも、辞めれません。平成19年に息子が会社に入ってくれました。京都のソフトウエアメーカーに7年勤めていました。ユーザーとのやり取り、材質・物性などのデータ提出などにも得意のパソコン等を駆使し、大変役立ってくれています。ゴム商組主催の勉強会にも参加させてもらっていますよ。親が言うのもなんですが、まじめで勉強熱心な息子です。
-ご趣味をお聞かせください-
ゴルフはしますが、趣味といえるかどうかな~。自分から進んでエントリーなどはしないですから。カメラはすきです。写真撮影ではなく、カメラそのものです。クラシックなカメラを中心にかなりの台数があります。家内と「街歩き」もします。京都の町を自分の庭がわりに散歩しています。これだけ散歩しても、まだまだ知らない、行ったことがない寺や神社などがたくさんあります。世界文化遺産である京都に住んでいる恩恵にあずかっています。
中井ゴム工業(株)さんを訪問して
今回は京都の中井ゴム工業㈱さんを訪問させて頂きました。四条河原町から歩いて10分弱の鴨川にほど近い京都風情が漂う街の一角に事務所はありました。一部資材スペースも兼ねた事務所は決して広くはないものの、その佇まいからは先代より半世紀以上に亘り受け継がれてきた歴史を感じました。いつもの温厚な面持ちでインタビューに応じて頂いた中にも、頑固なまでに本業一筋、ゴム一筋、またお客さま満足を最優先に事業を継続されてきたその信念は古都京都と合い通ずるものがあるように感じました。今後益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)