株式会社ダイニチポリマー

〒536-0022
大阪市城東区永田3-7-20
TEL 06-6963-2101
FAX 06-6963-2144
社長  森川 元治

-ダイニチポリマーさんの歴史を教えてください-

 私の父、森川誠治が昭和50年6月に創業しました。父は昭和4年生まれで、軍国少年として育ち、終戦時は予科練生(海軍飛行予科練習生)だったと聞いています。戦後の混乱時期を乗り越え、戦後日本の復興の一翼を担ったのでしょう。長年勤めた呉羽ゴム工業(株)を46歳で円満退社し、一念発起、堺市の自宅で起業しました。父は、社名を「大日本・・・」としたかったのですが、余りにも大仰なのでダイニッポン+ポリマー=ダイニチポリマーと名づけたそうです。その当時は、呉羽ゴム工業の代理店として主として工業用ゴム製品、紡績用ラバーストリップそして合成樹脂製品を販売していました。私は、その時、高校生でした、事業が軌道に乗るまでは経済的にも決して楽ではなく、父がどこからか持って帰ってきた内職仕事で生計を立てておりました。そして、事務所が堺では商売上何かと不便ということで昭和52年に事務所を緑橋に移転しました。やがて私が大学に入ると、父が自動車免許を取得させてくれ、得意先への納品なども手伝うことになりました。お得意先へ納品に伺うと、時代ですね、私を椅子に座らせ諸先輩方が何やかやと可愛がってくれましたし、また業界のいろんな情報も自然と耳に入ってきました。今考えるとこれらも貴重な経験だったと思います。その後、業容拡大に伴い昭和55年12月に(株)ダイニチポリマーに改組し、そして昭和58年に現在の城東区永田に移転しました。大学を卒業した私は、父の勧めで京都の塩谷化成(株)に就職し、本社近くで寮住まいをしていました。ところが父の会社が忙しくなり人手が必要となったのでしょう、2年で呼び戻されました。そして、平成13年1月に42歳で社長を引き継ぎ現在に至っています。また、平成16年には、縁あって事務所の隣にあった元紳士服メ/ーカーの社屋を購入し、現在に至っております。取扱商品の構成は、Oリング・成型品などのゴム部門が70%ぐらい。ジョイントシート部門が10%。樹脂が20%のバランスです。

-ダイニチポリマーさんの社是・企業方針などお聞かせ下さい-

 「世の中のお役に立ちたい」です。言い換えれば世の中に役に立たないことはしない。これに尽きます、私が決めた事業に対する信念です。 

-いま注力されている或いは今後注力しようと考えられていることをお聞かせください-

 工業用機械向けの「免震用ゴムによるライニング」です。某メーカーと共同研究を始めて3年目になります。現在は本作用の実験段階までこぎつけました。

-会社自慢、社員自慢をしてください-

少人数で家庭的であるということに尽きます。ただ実の家族や親族は敢えて入れてきませんでした。後継者についても肉親への拘りは全くありません。

-ご趣味をお聞かせください-

 学生時代は、アウトドアのスポーツで楽しんでいました。その後魚釣り、それから派生して料理に凝ったりもしました。また、一時期写真にも凝りました。そしてそのあと、今に続く趣味となる音楽に出会います。東大阪市の枚岡に住んでいた頃、近くの枚岡神社の禰宜さんに誘われて「雅楽部」に参加したのがその始まりです。私は「篳篥(ひちりき)」を担当していました。結婚式などの応援で演奏する機会も多くあり、5年ほど続けたでしょうか、大安の日曜日に必ず駆り出されることと、雅楽の独特な因習に共感が持てなくなり辞めることにしました。今度は、竜笛(雅楽の横笛)の経験もあることからフルートに興味をもち、ヤマハのフルート教室に通うことになりました。それから約10年、今では定期的な演奏会をはじめ、機会を見つけては演奏しています。他に「国宝めぐり」も大好きです。現在、国宝に指定されているのは千件余りあるそうです。いずれ全国のすべての国宝を訪ね歩きたいと考えています。まるで遊び人のようですが、いろいろなタイプの方に話を合わせられるので、これはこれで有りだったのかなと納得しております。

(株)ダイニチポリマーさんを訪問して
 “世の中の役に立つことだけをやる”という森川社長の信念に感銘を受けると同時に、これそが今の世の中に本当に必要なことではないかとあらため感じさせられました。一方、スポーツ、料理、写真、音楽と、社長の旺盛な好奇心からかその幅広い趣味にも驚かされました。今後、益々のご発展を祈念しております。
(事務局 三島通弘)